タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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「原発がやられた」
「えっ、ミサイルにですが?」
「いや津波だ」

テレビには空色に塗られた箱のような建物から薄く
煙が出ている画像が映っていた。
啓介はそのコップから生ぬるいビールをごくりと飲み込んだ。発泡が口内に広がり喉に落ちた。喉が痛いが味がしない。「もっと飲みたけりゃ冷蔵庫から出せばいい」

「有難うございます」
啓介はそのまま奥の冷蔵庫に向かって大きくもない冷蔵庫を開いた。酒屋みたいに缶ビールが整然と詰まっていた。
とにかく飲んで落ち着かなくちゃ。
落ち着いて今日起きていることを把握しよう。

啓介が一本長めの奴をとりだすと二本零れ落ちたから
三本持ってテレビに戻ると末広は初めて啓介を見て「どの椅子でもいいから座んなよ」と言った。
グレーのどこにでもある安っぽい事務机と椅子だった。

「いただきます」啓介は一本自分用に取って二本を
末広に渡した。プルトップを引くと泡が溢れ手の甲を濡らした。それをなめながら啓介はこんどは缶に口をつけて飲んだ。一気に飲んだ。胃袋が少しなごやんだ。

「阪神から東北かあ、、、東京とか九州に来るかもしれないな」
末広がつぶやいた。
「東京に大きなのが来るって昨夜っていましたよね」 
「言ったよ。列島がもみくちゃになるのかしれねーな」
啓介は頷きながら古くて小さなテレビの画面を覗いた。

画面が変って今度は何艘もの船が岸に向かって押し寄せられていた。くるくる回る舟、後ろ向きに突進する船、横倒しになってもがくように堤防を越え、上陸し、家にぶつかり壊し、乗り越えてさらに進む。車達は浮きあがり、濁流に飲まれたり翻弄されながら町を漂流している。水の轟音はテレビが唸っているような音だ。

人々は叫び、サイレンが鳴り響いている。画面には気仙沼と書かれている。「気仙沼」すね」と啓介がつぶやくとテレビの画面に地震情報が文字で出た。やや大きめの揺れが東京に来ます。

「来たんですかね?」
「違うだろ。ちょっとした揺れじゃないか?」
「だんだん大きくなったりしませんか?」
揺れが来た。ドンと突き上げたが それきりだった。
画面は違う海岸を映していた。海面が刑務所の壁のようにそびえ立ち、その壁が陸に向かって押し寄せていた。濁流の壁は堤防を飲み込み、前のめりになってまず2台の乗用車を手始めに弄ったと思うや、家々を土台から浚い始めた。

インクブルーの屋根の住宅たちが 押されまろび、互いにぶつかり合って混ざっていった。波頭が大きく口を開くと、飛沫を天に吐き散らし、この世の人口物を全て噛み砕き飲み込んだと思うと、その死骸を吐き出しては反芻した。憎悪と激怒の咆哮は間断なく限りなく見渡す限りを揺るがせていた。

私の友人が熊本、阿蘇山の麓から脱出しました。今も被災されておられる方々に祈りを捧げさせていただきます。
具体的に何ができるかを考えます。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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