タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆キャッチボール

揺れはまだまだ続いて、コーヒーショップの客たちが眉を潜ませ目を泳がせている。観葉植物の向こうのロビーのリクルートスーツの魚群が皆で天井を眺めている。東北地方の大地震が大津波になって、原発事故が起きてそれから東京が大地震にやられる?だんだん他人事ではなくなってきた。やめようかどうしようか迷っていたが、留まる理由がなくなった。いや留まれる理由がなくなったのだ。
「相談役はどうされますか」
「俺はもうどうでもいいよ。まだこの年でも必要としてくれたら、学生野球の監督でもしたいな。でも70歳じゃあな」

ウエイトレスがサンドイッチとコーヒーを運んできた。サンドイッチをがぶりと噛んだ吉田が言った。
「キャッチしないか」
吉田はキャッチと言った。啓介もアメリカにいたから、キャッチポールより「キャッチ」と言った方が楽しかった。
「えっ、グラブやボールはあるんですか」
「早く食え」
啓介もサンドイッチをがぶりと噛んだ。レタスがシャキッと割れるとベーコンの煙の臭いが広がった。
サンドイッチを噛みながらコーヒーカップを口に運んだ。コーヒーは熱かった。ちょっと啜ると口の中で色々な味がした。吉田はコーヒーに少し水を入れて一息で飲んでしまうと、指を鳴らしてウェイターを呼んだ。啓介は口の中の物を呑み込むともう一杯コーヒーを啜ってむせた。

ウェイターが来た。吉田は黒いクレジットカードを渡して1,000円札を渡しながらサインをするともう一つのサンドイッチを持って立ち上がった。
啓介もサンドイッチをもう一つ持ってコーヒーを未練がましく見ながら立ち上がった。
「相談役!現金でチップやるならなんでコーヒー代もキャッシュにしないんすか?」
「習慣だよ」
「カード暗証番号持ってないんすか?」
「ない」

答えながら吉田はロビーを通り越して駐車場の管理室に向かってゆく。黒塗りの車をやり過ごして窓越しに「悪いね」というと中の中年男がグローブを二つとボールを一つ出した。

吉田はそれらを受け取って新しいほうのグラブを啓介にトスした。もう一つはかなり古いからもしかして吉田の現役のグラブかもしれない。少し大ぶりのグラブに、かつて人間掃除機と言われた三塁手の面影がふっと見えた気がした。二人は歩いた。堀端の春風の中を歩いた。堀には春の水に満ちて、春風がさざ波を立てていた。平和だった。吉田はどんどん歩いて皇居前広場の芝生に入って行った。

キャッチボール

黒松を背にして吉田が啓介に山なりのボールを投げた。綺麗な回転がかかったボールだった。啓介はグラブをげんこつで叩いてからボールを受けてからグラブを脱いで脇に抱え、ボールを丁寧にこねてから吉田に返した。吉田は少しずつ後ずさりしながらボールを返してきた。

啓介との間はピッチャーとサードくらいの距離だ。
啓介は少し強めに投げてみた。吉田はそれをパチンといい音を立てて体の左側で受けてからボールを右手に持ちかえ、縫い目を確かめるようにオーバーハンドで投げ返してきた。距離は30メートルくらいになっていた。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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