熊本地震で被害を受けた益城町の避難所である益城町保健福祉センターから、被災情報をラジオで流している。1日に3回、15~30分ほどの放送だ。益城町の広報課職員は3人しかおらず、放送には被災したボランティアが50人程度協力している。(武蔵大学松本ゼミ支局=高山 真太郎・武蔵大学社会学部メディア社会学科1年)
大規模災害が起こると「臨時災害放送局」(通称:臨災)を開局することが可能となる。臨災は、行政からの情報をラジオという形で被災した町民に伝える。この臨災が開局するまでのいきさつやこれまでの歩みについて調べた。
筆者が所属する武蔵大学メディア社会学科松本ゼミ一同は、熊本に行き、現状を確認すると同時に、益城町で開設された臨時災害放送局について広報課の話を聞いた。
2016年(平成28年)4月14日21時26分に熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、2日後の4月16日1時25分に益城町を震源とする震度7、マグニチュード7.3の非常に大きな地震が起きた。その後も断続的に余震が続き、熊本をはじめ九州全域に不安をもたらせた。
九州で起こる自然災害は大雨や台風など気象にかかわるものだけで大地震は起こらないと昔から言われてきた。そんな中で起きた地震、九州出身者である筆者は被害や避難生活の状況、そして復興が行われているであろう現状について実際に著者地震の目で確認したいと思い、熊本に出向き、被害の大きかった益城町まで足を運んでみた。
熊本に到着したのちバスで市内に一度出て、そこから益城町に向かった。市内は熊本城や熊本大学など町の一部に被害のあとが見えるが、生活に支障が出ているという感じではなかった。
しかし、益城町に入るとバスから見る景色は一変した。完全に倒壊した家屋、山積みになった土砂、その上にかぶせられたブルーシートや、ひび割れたコンクリートの道。何もかもが普通の町とは異なり、地震の恐ろしさを目の当たりにした。
■声でつなげる明日への希望
益城町の現状を確認した後、筆者は町役場の広報課に話を伺った。益城町の臨災は益城町庁舎ではなく避難所となっている益城町保健福祉センターの調理室で、1日3回15分~30分の放送を行っている。益城町の広報課職員は3人しかおらず、放送には50人程度の被災したボランティアの手助けにより成り立っている。
情報は益城町の公式の情報を流す機関であるため、「正しく、速く」ということを意識している。放送する内容は、町の公式ホームページや直接各課からくる情報を集めているが、いずれも文字として来るため、声のみで伝えるラジオではそのままだと異なる意味で伝わる可能性があるので、再解釈して誤解を生まないように気をつけている。
原稿に関しても庁舎で作成し、その原稿をメールでやり取りをしながら校正をしていく。 益城町の臨災での放送は復興が進み生活にゆとりができるまでは続けていく。その時期は未定だという。
筆者も臨災について知ったのはこの取材がきっかけ。人の声で伝えるラジオは、今後の自然災害が起きた時の地域住民の心の癒し、または地域を盛り上げるための一つのコミュニケーションツールとして利用していくのも有りではないかと考えた。
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