熊本地震から4カ月が経つ。熊本市内では復旧が進み、震災前とほとんど変わらない生活ができるまでになった。一方で、益城町のボランティアセンターの運営スタッフからは、「ボランティアに来てくださる人々が以前と比べてかなり減少している」との声が聞かれる。被災した地域によって復興のスピードには大きな差があるが、メディアの報道では正しく伝わっていないように思う。そこで、実際にボランティアで目にした益城町の現状を書くことにした。(東海大学熊本キャンパス 復興支援チームVukki=下笠 航輝・経営学部経営学科4年)
私はVukkiのリーダーである吉川君と一緒に熊本地震で最も被害の大きかった地域の一つである益城町の災害ボランティアに参加した。益城町に入ったのは震災後初めて、私自身こうした災害ボランティアは初めてである。
ボランティアセンターではチーム組みが行われ、私たちは10人で構成されるチームに入った。チームではリーダーを決めるのだが、この日は多くのボランティアを経験してきた吉川君がリーダーとなった。
そして被災者宅へ向かったのだが、途中で目にした光景は想像以上に衝撃的なものだった。熊本地震からすでに4カ月が経ち、私が住んでいる熊本市内の復興の状況からすると益城町もかなり復興が進んでいるだろうと思っていた。
しかし、実際に行ってみると、報道で目にしたブルーシートで屋根が覆われている住宅や、いまだに傾いたままの家屋、取り壊されている途中の建物が数多くあった。その現状を見て、改めて地震の恐ろしさを感じると同時に、熊本復興のために少しでも力になりたいという気持ちがさらに高まった。
ボランティア先の被災者の方は「来てくれてありがとう」と一人一人に声をかけ、明るく私たちを出迎えてくれた。こちらでの活動は主に瓦礫の撤去作業となった。熊本は阿蘇山をはじめとする山々に囲まれた地形のため夏は異常に蒸し暑い。
時折起こる集中豪雨によって、放置された木材や畳などにカビが繁殖するため至る所でカビ臭く、マスク無しでは活動に支障が出る場所もある。また、前日には大雨が降ったため瓦礫の木材が水分を含み重みが増していた。それに加え、この日は35度を超える猛暑日で炎天下での作業は肉体的にも精神的にもきつい1日となった。
作業は途中の休憩を挟んで10時から15時まで。私が想像していたより重労働でみんな汗だくになりながら黙々と作業に取組んだ。
そんな私たちを見た被災者の方が金時のアイスとお茶を振舞ってくれ、休憩がてら30分程度お話をした。そうすると被災者の方が「私たちは地震には負けていません、負けたのは家だけです」、「撤去作業をして頂くことはとてもうれしいことです。でも私たちが最もうれしいことは、いろいろな方と出会って話しをすることです」とおっしゃっていた。
今回の災害ボランティアで求められていることはもちろん瓦礫の撤去である。しかし、被災されて自宅を失くされた方にとってメンタル面の支援をしていくこともとても大切であると思った。作業を終え支援先のお宅を後にする際、「今度は作業ではなく遊びに来てください」と力強い握手とともに別れを告げた。
私は、益城町の被災現場を実際に自分の目で見ることによって、復興スピードが地域によって大きな差が生まれてきていることを感じた。益城町は地震から4カ月たった今も倒壊した家が多く、仮設住宅も建設途中の状態であったからだ。
同じ班で共に汗を流したボランティアの人の中には東京、京都、山口といった県外から来られている人が多かったことを知った。このように遠くから来ている人たちの姿を見て、私はこれまでに地元の鹿児島で街頭に立って募金を呼びかける活動はしてきたが、熊本に住んでいながら熊本の被災地での現場で災害ボランティアに参加してこなかったことへの後ろめたさを感じた。
今回、ボランティア活動を体験する事によって、その地域が置かれた状況を知ることができ、また、いろいろな人との出会いから責任感も感じた。ボランティアの参加はいまからでも遅くない。支援が必要な人がいる限り、新たに参加する人が必要である。だから、いまからでもたくさんの人に来て欲しいと思う。
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