5月19―20日に東京都あきる野市で被災地復興支援イベントが開かれた。発起人のあきる野市・陽向寺の鈴木暢(とおる)住職は2011年以降、同門の仲間と災害ボランティアチーム「臨坊」を結成、各地で重機操縦や犠牲者の慰霊などに関わってきた。今回も震災風化の防止と経験の共有、そして地域防災への意識向上を主眼に置いた。(文・写真=福地 波宇郎)

19日には東日本大震災や熊本地震、北部九州豪雨などの被災5県などがブースを出展、「買って応援、食べて応援物産展」があきる野広場で開かれ、会場には各地の物産を求める人たちで賑わいを見せた。「九州での災害がこんなに広範囲だとは知らなかった」と訪れた70代の女性は語り、熊本の特産品を手にしていた。

物産展ではご当地キャラの登場や僧侶による千響太鼓演奏も

翌20日にはあきる野市・地蔵院で「地域防災を考える講演会、熊本地震から2年-現地の今は」を開催、100席の会場は満席となった。
 
南阿蘇の老舗旅館、「地獄温泉・清風荘」社長の河津誠さん(55)と二人の弟が登壇、地震と土石流の被害を受けたときの様子を伝え、「うちの再開はまだでも、阿蘇の8割の観光施設やレストランは元に戻っています、どうぞ南阿蘇に遊びに来てください」と語った。地域全体の復興を目指して旅館の復活にも奮闘している。復活を果たしたら老後はこの経験を各地に伝えていきたいとの思いも語った。

講演会に南阿蘇から5人が登壇、震災の体験を語り継ぐ

震災後、キャンパスを南阿蘇から移転した東海大学農学部の学生ボランティア団体、「阿蘇の灯(あかり)」からも2名が登壇。代表の四年生、林風笑(かざえ)さんは被災時にアパートが倒壊、九死に一生を得た。「美しい自然と人間関係にあふれた学生村があった大好きな阿蘇黒川地区にもう一度キャンパスを戻したい」と気持ちを訴えた。

学生たちも代が入れ替わり、後輩たちは震災も阿蘇のキャンパスも知らない。仲間を失った悲しみや被災時のつらい思い出を乗り越えながら、後輩や全国の人たちへ「語り部」として震災を風化させず、思いを伝えていく活動を行っている。

南阿蘇黒川地区で語り部として話す林さん(左)

あきる野市と近隣2地区の合計人口は約10万人。そこに配備されている救急車は3台しかない、と鈴木住職は聴衆に語りかけた。共催した災害支援NPO OPEN JAPANの肥田浩さんも日本各地での活動経験から地域コミュニティの重要性を説いた。

首都直下・南海トラフ地震の予測がニュースにも上がる昨今、都市部での大規模災害が起きたときにまずは自分の命は自分で守り、近隣の人々はそれぞれに助け合わねば災害直後の状況を乗り越えることはできないのが現実だ。

各地での被災経験をつなぎながら、「次の災害は必ずやってくる」と備えることの大切さを訴える会となった。

阿蘇地獄温泉すずめの湯 復興ファンド

阿蘇の灯 Twitter


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