児童養護施設出身のモデル田中麗華さん(23)は、社会的養護下にいる子どもたちの現状を伝えるため講演活動などを精力的に行っている。講演では、「施設卒園後に自立を余儀なくされる心境」や「卒園後の苦労」などを話す。田中さんは、「施設出身者を社会的弱者とまとめないでほしい。同情ではなく、共感の輪を広げたい」と言う。(オルタナS編集長=池田 真隆、写真=石田 吉信)
田中さんが言う共感の輪とは何か。それは、児童養護施設で暮らす子どもへの誤った理解を正していきたいということ。
例えば、「社会的弱者」という言葉もその一つだという。「施設出身だから本当に社会的に弱者なのか」と指摘。「私たちのことを知らないから、施設出身者を一様に社会的弱者とまとめているのではないか」と述べる。
施設出身者だから「苦労した」と決めつけてはいけない。「それぞれ異なる境遇を育ってきたので、一人ひとりとしっかりと向き合い、話を聞くことが重要」だと言う。
話を聞くときに大切なのが、「寄り添うこと」――。「施設出身者の話を無理に美談にしようとして感動ポルノのようにとらえたりするのではなく、ありのままを受け止めて聞いてほしい」。施設出身者がありのままを受け止めてもらいたい理由については、「同情ではなく、一人の人として向き合ってほしい。そして、共感してほしいから」とした。
■卒園後に孤独感、友人とも壁
田中さんの生い立ちを説明する。1995年東京都生まれ。4歳上の姉がいる。父親からの暴力により、7歳で姉とともに児童養護施設に入所した。18歳で卒園するまで施設で暮らし、卒園後は奨学金を借りて都内の短期大学へ進学。
大学と連携している不動産屋のアパートで一人暮らしを始める。学費は奨学金でまかなったが、食費や家賃、光熱費、携帯代などの生活費を一人で支払うため、アルバイトを複数掛け持ちしながら、大学が終わった後は毎日深夜まで働き続けた。遊ぶ時間は「ほとんどなかった」と振り返る。
大学に通い1年が過ぎたとき、働き過ぎの影響から心に失調をきたす。孤独感に襲われ、友人からアーティストのライブや遊園地に行ってきた話を聞くたびに、「なぜ自分だけがこんなにがんばらないといけないのか」――と、精神的に余裕がなくなり、周囲の友人とも壁をつくるようになった。
この時の心境をすべて話せたのは姉だけ。施設の職員に相談することもできたが、「職員さんも普段の仕事で忙しい。心配をかけたくないし、がんばっている姿を見てほしい」と思い連絡はしなかった。
田中さんが卒園した施設では、卒園者と職員が直接連絡を取り続けることは原則禁止になっていた。東京都の施設では卒園後の相談窓口として*自立支援コーディネーターが配置されているが、相談するまでのハードルが高く、なかなか打ち明けられなかった。
そんな辛いときに励みになったのが、周囲の人からもらった何気ない言葉。「施設出身」というレッテルを抜きにして自分の良いところを褒められたときの言葉をノートに書き留め、胸にとどめるようにした。「どんなに辛い状況でも、自分の意識を前向きにすることで、人との出会いが広がり、チャンスが生まれた」と実体験に触れながら語気を強めた。
■21歳でミスユニバース出場
「生い立ち関係なく、誰でも好きな自分になれることを伝えたい」――講演活動で何を伝えたいのかという筆者の質問に田中さんはこう答えた。田中さんがモデルを本格的に目指したのは、大学卒業後。
自分の心に正直に生きようと決めて、世田谷区の住宅支援を受けながら、モデルレッスンに通い、21歳の夏に念願のファッションショーデビューを果たした。その後、ミスユニバースの茨城県大会に出場したり、雑誌「with」の読者モデルに選ばれたりするなど活躍の幅を広げた。
目指すのは、施設で暮らす子どもと、施設のことをまったく知らない人を結ぶ「架け橋」になること。施設で暮らした経験を持ちながら、様々な活動をする田中さんだからこそ伝えられる切り口で、情報発信を行う。
Tasukeaiというアカウント名でSNSを開設。施設のことを知らない人でも施設の内情や子どもたちのことがわかるような書籍や映画の情報を発信している。
家族から虐待を受け、卒園後も頼れる家族はいない。社会人になってからも生きづらさを1人で抱え込んで生活を送る若者に何ができるのか。
田中さんは、「今の若い人は、ネットを介して、様々な人とつながりながら育ってきた。そのため、一人ひとりの個性を受け入れられる器を備えている。もし側に施設出身の人がいたり、打ち明けられたりしても、これまでと変わらず関わり続けてほしい」と述べた。
※自立支援コーディネーターとは:東京都の児童養護施設に1名ずつ設置されてる役職。主な仕事は子どもが施設を退所する前のサポートや退所した後のアフターフォローなど。
・田中麗華さんの公式サイトはこちら