新しい「着物」が生まれようとしている――。若者に和装を広げることを目指したブランドがこのほど立ち上がった。国内縫製かつオーダーメイドで、3万円台から提供。立ち上げたのは、着物の仕立て屋の家で生まれた兄弟。洋服生地を使っており、セーターを中に着たり、スニーカーを履いたりしても違和感なく着こなせるのが特徴だ。(オルタナS編集長=池田 真隆)

巧流(コール)を立ち上げた元山巧大さん(右)と誠也さん 写真:野村尚克

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” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” class=””]ブランド名は、「巧」に「流」と書いて「巧流(コール)」。兄弟が「職人として尊敬している」と口を揃える父・巧さんの名前から取ったという。

このブランドの特徴を説明する前に、ブランドを立ち上げたこの兄弟について触れたい。長崎県出身の元山巧大さん(26)と誠也さん(24)の二人だ。元山家は祖父の代から和栽を仕事にしてきた家系である。

祖父は全国和裁着装団体連合会の13代会長を務め、父の巧さんは手縫いで着物を作れる仕立て屋だ。家業を継ぐため、兄の巧大さんは高校を卒業してすぐに県外にいる和裁士のもとへ修行に通った。実家では、巧さんが祖父の代から続く元山和栽学院という職業訓練校を運営していた。同校に通うことでも和裁士の資格を取れるが、巧さんの「親子だと甘えが出てしまうから」との理由であえて外に出した。数年後に巧大さんが帰ってきたときには、一緒に同校の運営を行う計画だった。

巧大さんが実家に戻ったのは3年後。念願の和裁士の資格を取って、実家に戻った。だが、「時すでに遅し」の状態だった。着物を着る人口が少なくなったことを理由に、同校の廃校が決まったのだ。

極細の糸を縫うことができる和裁士の技術力を世の中に伝えていきたいと話す 写真:野村尚克

巧大さんは巧さんから、右肩下がりの業界だから、違う仕事に就いたほうがいいと言われ、家を出ることにした。就職活動の末、決まったのは九州に支店を置く大手自動車メーカーのカーディーラーの営業。実家を出る際には、巧さんから「もう戻ってくるなよ」と念を押されたという。

代々続いた和裁士の家系を息子に継いでもらうことを楽しみにしていた巧さん自身が絞り出したこの言葉の背景には、物理的な意味ではなく、着物業界に戻ってくるなよというメッセージが込められていたのだろう。

こうして元山家の和裁士としての歴史は途絶えることになったのだが、糸をつむいだのは弟の誠也さんだ。当時、美容師になるために上京して都内の専門学校に通っていたが、着物にかける思いは人一倍強かった。

巧さんから着物業界が縮小していること、巧大さんが着物業界から離れることを聞いた誠也さんは、すぐさま長崎に戻り、巧さんも入れて3人で話し合う場を設けた。そして、その場で、誠也さんが巧大さんに「おれと一緒に一からやり直そう」と誘った。

誠也さんは、和裁士の資格は持っていないが、和裁士の雇用を持続可能にしていくためには、販売、流通から変えていく必要があると考えていた。資格を持っている兄と組めば、お互いを補完する関係性が築けると思ったのだ。

その話を受けた巧大さんは「率直にうれしかった」と振り返る。しかし、「仕事に就いて1年目であったので、営業マンとして学ばなくてはいけないことがたくさんあった。入ったからにはそれらを学びたいから3年は待ってほしい」と返事をした。

4月11日には東京江東区にサロンを構えた 写真:石田吉信

この家族会議後、巧大さんはカーディーラーの営業として、誠也さんは美容師として、巧さんは個人で着物の仕立て屋として3人異なる道で働いた。

時は過ぎて3年後。約束通り、巧大さんは戻ってきた。それも、最優秀新人賞を獲得するほどの実力をつけて帰ってきた。その賞の表彰式が東京で開かれるため、東京に来たタイミングで誠也さんのもとへ行き、「一緒にやろう」と伝えた。会社に退職届けを出したのは、表彰式後、九州に戻ってすぐだ。実家には、「上京したいから」とだけ伝え、巧大さんは上京した。2018年1月のことだ。

その後、二人は都内で創業に向けて、ブランドコンセプトや事業計画をつめていった。だが、この時点では、巧さんには二人で創業することは言っていなかった。職業訓練校を苦渋の思いで廃校したことから、この業界で挑戦することを好意的に受け入れてもらえないのではないかと思っていたからだ。

巧さんに打ち明けたのは、半年後の2018年7月。巧さんが上京してきた時に、都内のカフェで、二人で創業することを明かした。反対されると思っていたが、「その予感はしていたよ」と一言。そして、応援するよと息子たちの背中を押した。

実は、巧大さんたちは、創業準備中に着物のことで分からないことがあると、そのたびに巧さんに連絡していた。着物業界から離れている二人から、頻繁に問い合わせをもらっていたことで巧さんはそう予想していたのだ。

こうして、一度は切れた糸だが、もとの1本の糸に太くなって戻った。今年4月11日に東京都江東区の清澄白河にサロンを構えた。駅から2分ほどの好立地で、ラーメン屋の上だ。創業したての会社としては、いかにも物語が生まれそうな場所だ。

二人が考えたブランド「巧流」では若者向けに和装を広げることをミッションに掲げている。特徴は5つある。

1つ目は、洋服生地を使うことで、洋服やスニーカーと合わせても違和感がないこと。2つ目は、国内縫製、オーダーメイドであるにも関わらず最低価格3万8000円から販売。3つ目は、背中に帯を通す穴を開けたことで、着崩れを防いだ。さらに、簡単に着用できるような仕立てにしていること。4つ目は、生地のサンプル張から色の組み合わせを選ぶのだが、全部で1千種類以上に及ぶこと。5つ目は、採寸方法を動画で公開したことで、一人でも採寸することができ、ネットから注文を可能にしたこと。

色の種類は全部で1千種類を越す 写真:野村尚克

これらの特徴のなかでも注目なのが、3つ目で説明した、仕立てである。「巧流仕立て」と名付けた。着物には、襟を右前にして着るという慣習があり、着方を制限したことが「着物への敷居を高くした」と指摘する。固定概念をなくすため、「着方は自由」と何度も口にした。

背中に帯を通す穴を開けたことで着崩れを防ぎ、簡単に着こなすことも可能にした 写真:野村尚克

さらに、季節によって色や柄を慣習で指定していることも、着物離れの一因になっていると述べる。デザインは和裁士の巧大さんが担当し、色彩検定の資格を持つ誠也さんが色の組み合わせをアドバイスするようにした。こうすることで、トレンドを取り入れた現代的なコーディネートを提案している。

製造は祖父の代から取引がある会社などに依頼している。手縫いの場合は巧さんや、巧さんに教わった弟子たちに依頼するという。

二人は、着物は「エシカルなファッション」と強調する。その理由は、着物は糸をほどけば、また縫うこともできるので、代々引き継いで着ることができるからだ。

今後は、個人向けにも販売していくが、旅行会社やユニフォーム業者、旅館、老人ホームなどの法人向けの営業も行う。

現在、着物の縫製の90%が海外という厳しい状況だ。日本の伝統文化を維持するために、徹底して国内縫製にこだわっていく。

そして、「5年以内に、和裁学院を立ち上げる」ことが目標だ。父の代で途絶えさせないため、元山和裁学院の看板をもう一度掲げようとしている。

巧流のサイトはこちら


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