1995年に開設した上田市「マルチメディア情報センター」は、「デジタルアーカイブ事業」の先駆け的な存在だ。地域住民の協力を得ながら、写真や映像を地域の文化遺産とし、保存・活用している。新映像産業の復興や市民の情報リテラシーの向上、教育機関での利用などを目的としている。(武蔵大学松本ゼミ支局=竹内 颯汰・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)

インタビューに応じた事務所長の井戸芳之さん

今でこそ「デジタルアーカイブ」という言葉は一般に広く知られるようになったが、センターが開設した95年では、一般な言葉ではなかった。そんな中、どのようにして、上田市マルチメディア情報センターで「地域映像デジタルアーカイブ事業」が始まったのか。

時は1996年2月、上田市は通産省(現・経産省)主催の「新映像フォーラム‘96」に参加した。同じく参加していた映像文化製作者連盟が、同フォーラム内で、上田市の昭和初期の映像を記録した映画の上映を行った。

太平洋戦争が終戦するまで上田市に存在していた「上田飛行場」を記録した映画であった。そして映像文化製作者連盟から「このような映像を地域の文化資産として、地域振興や産業・文化の発展などに生かすような事業をしませんか」と提案をもらった。「地域映像デジタルアーカイブ構想」の提案だった。

上田市にしてみれば、「(センターの)具体的な事業の柱ができる」と考え、この提案を受け入れた。

ではどのようにアーカイブする写真や映像を集めたのか。まず収集するための大きな活動を始めた。以前まで活動を行っていた「映像発掘探検隊」の仕事はこうだ。

まずフィルムなどを持っている地域住民の情報を集める。次に、その家に出向き、貸してもらい、撮影させてもらう。具体的には、「NPO法人上田広域市民ネットワーク」と連携して、上田市内にある古い家を訪問する。趣旨を説明して過去の写真やフィルムがあったら提供してもらう、という流れだ。

当初、市民の皆様から提供して頂いたものを使ったコンテンツは、ほとんどこの「映像発掘探検隊」で見つかったものである。その他にも大学などの研究機関、民間企業、行政などと連携を取り、コンテンツを収集していった。

そうして集めたコンテンツは、「出前上映会」をメインに地域の方々に還元している。これは、平成15年度から始まり現在も続いている、地域住民との大切なつながりの一つだという。

デジタルアーカイブ事業で収集・制作した映像の中で、著作権などの権利処理ができた作品を、上田市内の小中学校や公民館、自治体の行事などで上映している。昨年、平成30年度は31回行い、820人が参加した。

このような活動を続けていると、先程の「映像発掘探検隊」などの収集活動を行わなくても、そこに参加していた人達から「あそこの家にも、こういうのがあるよ」、場合によっては「うちにあるよ」という情報が寄せられるようになっていき、探さなくとも見つかる、という良い循環が生まれた。このように同センターは、地域の方々と上田市の歴史を繋ぐ架け橋となっている。

施設内の様子 休日にはプログラミング教室なども開催している

今後の施設の展望については、「もっと小・中学校で使ってもらいたいと考えていて、うまくいかなかったものがあるのでそれをもうちょっと頑張っていこうかなと思っています」と井戸さんは語る。

上田市の小学校には3・4年生の副教材として、「私達の上田市」というテキストがある。このテキストでは、上田市の気候、地形、産業、文化などを学ぶことができる。その中で昔の上田市の様子ということで、養蚕業が取り上げられている。同センターにももちろん養蚕に関する映像がいくつか存在する。それらの映像を使い、実際に子どもに見てもらい、歴史を継承している。

このような同センターの目的に則した素晴らしい活動が行われている。一方で、先述の小・中学校との繋がりが広がってはいないというのが現状であり、井戸さんの懸念点である。

理由は、センターとの連携が先生にとって負担であり、地域学習に割く時間が少なくなってきているからだ。住民とは出前上映会で、センターとの繋がりがうまく保たれているだけに、教育機関との関係が希薄になってしまっているのは望ましくない。今後センターでは、この課題の解決に注力していく。

住民から写真、映像を回収し、それを数年後、数十年後の次の世代へ継承していく。そしてまた回収し、継承していく。この流れの中で、住民との関係は絶やすことはできない。上田市マルチメディア情報センターが今後どのような方法で、地域の方々ともっと連携を取り、それを還元していくのか、注目である。



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