地域のFM放送は有事の際に、被災者向けの災害情報を発信する拠点として活躍する。1995年にできた柏崎コミュニティ放送(以下FMピッカラ)もそうだ。同局では、2007年の新潟県中越沖地震で大きな被害を受けたにも関わらず、災害発生からわずか1分45秒後には番組内容を被災情報へと切り替え、その後41日間に渡りほぼ24時間体制で被災者向けの生活情報を伝えた。 (武蔵大学松本ゼミ支局=横野 公至郎・武蔵大学社会学部メディア社会学科3年)
FMピッカラは1995年6月、地方創生事業の一環として、観光関係者らによって開局したFM放送局だ。開局から約3週間後の同年7月11日に新潟県上越地方を豪雨が襲い(7.11水害)、FMピッカラもその被害を受けた。
2007年の新潟県中越沖地震の際にも大きな被害を受けたが、災害発生からわずか1分45秒後には番組内容を被災情報へと切り替え、その後41日間に渡りほぼ24時間体制で被災者向けの生活情報を伝えた。
中越沖地震の際、FMピッカラの事務所内は地震の揺れによって機材が散乱しスタジオにも入れない状況だった。しかし、たまたまスタジオ内に次の番組のために待機していた人間が2人いて、わずかな隙間から情報の受け渡しをすることで放送を行うことができたという。
FMピッカラの取締役・統括部長の前田さんは、当時の状況についてこう話す。
「(スタジオの中と外の)出入りができないわけですよ。グチャグチャに倒れた機材などを扉から出して、とにかく動線を確保して、スタジオからアナウンスしてもらっている2人を救出したという形でした」
そんな大変な状況でありながら、震災発生後すぐに災害情報を発信できたのは7.11水害で災害放送を経験できたことが大きいと、前田さんは話す。当時はまだ災害放送に関する機材が十分に揃っておらず、携帯電話でのみ情報を発信していたが、水害発生後に緊急放送に切り替えるシステムと、ラジオマイクという屋外から無線で飛ばせる放送システムを導入していた。
その2つを組み合わせることで被災現場や災害対策本部などを通じ、情報ソースを簡単に確保できるようになったという。設備のいち早い導入が、中越沖地震発生時の素早い対応に繋がったのである。
災害放送を経験して培った災害対応のノウハウは。各地の被災現場においても役立っている。中越沖地震の際にほぼ24時間体制で行った41日間に渡る災害放送は、筑波大学によって文字起こしがされ、震災直後から被災者の求める情報がどのように変化していくのかを研究する資料となった。この研究が東日本大震災のサポート体制に生きていったという。
FMピッカラには、防災対応という側面はもちろん、低予算での運営という点でも評価を受け、各地から視察が訪れるという。災害時に、コミュニティ放送に期待されることは多いが、FMピッカラがその良いモデルになることは間違いないだろう。
数々の被災を経験し、その苦しみを味わったからこそ、話せることがある。そして、他の被災地に生かせることがある。そう主張するFMピッカラの方々の強さはとても印象的だった。
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