医療の発展によって難病や障害があっても長く生きられる命が増えている一方で、親亡き後、周囲からのサポートが必要な子どもがどのように生きていくかは、現実として多くの課題が残っています。あるデータベースの制作・運営に取り組む母親の挑戦を取材しました。25歳を迎えた息子が自分亡き後も自分らしく生きられるように、まさに「希望の終活」として取り組んでいます。(JAMMIN=山本 めぐみ)

4万人に一人の難病「ドラベ症候群」の息子と共に

自宅で笑顔を見せるキヨくん。「4歳までしか生きられない」と言われていた彼は、今年25歳になった

今年25歳を迎えた青年の名前は林聖憲(はやし・きよのり)君、通称「キヨ君」。四万人に一人とされる「ドラベ症候群」という難病を持つ彼は、発症当時「4歳までしか生きられない」と告げられました。

「ドラベ症候群」は、様々な種類の発作を持ち、一度発作を起こすと発作が何時間も続いたり、短い発作を何度も繰り返したりする「けいれん重積」が特徴です。

発作を誘発する原因として、体温変化や興奮などだけでなく、水玉模様や縞模様や木漏れ日が視覚に入ることで引き起こされることもあり、日常生活の中で発作を防ぐことは非常に難しいといいます。いつどこで発作が起きるかわからないため、母親の林優子(はやし・ゆうこ)さん(60)はキヨ君が幼い頃、家の中に閉じこもり、ただ1日がすぎるのを待つ日々を過ごしました。

キヨくんと、母親の林優子さん

「とても生活しづらく、親はどうしても神経質になりがちです。私もそうでした。どこかに連れて行くこともできず、刺激を避けるために一日中カーテンを締め切った部屋で、ただただその日が無事に終わることを願いながら何もせずに二人で過ごしていると、涙が溢れて止まりませんでした。何も考えられず、本当にしんどい時期でした」と当時を振り返る林さん。

「どれだけ可能性を排除しても、起きる時には発作は起きます。そうやって割り切れるようになったのは、もっと後になってからですが…。引きこもって張り詰めた生活を続けているうちに聖憲はどんどん顔つきが変わり、いつしか笑わない子になっていました」

4歳で、ドラベ症候群の特徴の一つである脳症を引き起こし、生死をさまよったキヨ君。もしかしたらもうこの先は無いかもしれないと感じた時、林さんは「発作で亡くなるとしても、それまでは楽しいことをさせてあげたい」と強く感じたといいます。周りの同級生たちとできるだけ同じ生活をさせたい、地域で生きて欲しいと奮闘する傍ら、「ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)」を立ち上げ、様々な活動をしてきました。

「同世代の子と一緒に」
地元の幼稚園・小学校へ

夜の公園で遊ぶキヨくんと兄の将基さん。「家に引きこもるのを止めたものの、発作は怖く、日が暮れてから公園に連れていくことから始めました」(林さん)

当時、キヨ君が通っていた療育センターで彼が関わるのは大人ばかり。「どうしても同世代の子どもたちと接させたい」と林さんは地元の幼稚園に打診し、彼を入園させました。

「慣れるまでは大変でした。一日中掃除箱の中にいたり、校庭のうさぎに餌だけやって帰ったりするような日もありました。体温変化で発作が起きるので、普段から氷を持ち歩いて冷やしたりかじったりするのですが、一人だけ特別なので、周りからの理解もなかなか得られずにいました」

幼稚園の遠足で初めての芋掘りをするキヨくん。「幼稚園では介助の先生が付き添ってくださり、聖憲にも友達が出来ました」(林さん)

「そこで、紙芝居を書いて、生徒さんたちの前で先生に読んでもらったんです。『みんなと同じようにおしゃべりもできないけど、仲良くしてね』と書いたら、そこからみんな話しかけてくれるようになって、いつの間にか、手をつないで一緒に元気に走り回っていました」

さらには、発作が起こるかもしれないからと諦めていた家族旅行にも少しずつ出かけるようになりました。「外出先で何かあった時のために、しっかりと対策や準備をした上で、普通の子どもが経験する楽しいことを、聖憲にも当たり前のこととして経験させてあげたいと思うようになっていました」。

脱走事件をきっかけに
「地域で育てる」大切さを痛感

発作が起こると体の力がガクッと抜けてその場に倒れ、体のあちこちをぶつけてしまう。小さい頃のキヨくんは生傷が絶えず、ヘッドギアを装着していた。「何度も顔面を打つので、鼻を守るために額の部分を高くしたり、顎当てを付けたりしてもらったりしました」(林さん)

地元の幼稚園に通いながらも、近所の人たちはキヨ君の病気のことを黙っていた林さん。

「どうにもならない発作が起こると救急車を呼ぶのですが、当時はまだてんかんへの差別が強く、ご近所さんには彼の病気のことを話していませんでした。救急車を呼ぶと人だかりができ、精神的にもつらい時期で『放っておいてほしい』と思っていましたし、家の前ではなく家を出て道を下った大きな通りで救急車を呼ぶようになっていました」と林さん。

しかしキヨ君が5歳になった時、ドアの鍵とチェーンを開けることを覚えた彼が、目を離した隙に家から脱走してしまう事件が発生します。

「事故に遭ったらどうしよう、何かあったらどうしようと青ざめて外に飛び出しましたが、本当に偶然に、病気のことを伝えていたたった2軒のご近所さんのうちの1軒の方が、パンツ一丁で外をうろうろしている聖憲を発見して『何か変だ』と察知して、手を引いて連れて帰ってくださったんです」

「もし聖憲の病気のことを知らない方が彼を見たら『パンツ一丁でうろうろして、変な子だな』で終わったでしょう。交通事故に遭っていたかもしれません。この脱走事件をきっかけに、家族で見られることには限界があり、何かあった時のために、地域の方たちにも聖憲のことを知っておいてもらわないといけないと強く感じました。そして、地域で彼の病気を隠すことをやめました。『もしこの子が一人でいるところを見かけたら保護してください。うちに連絡をください』と言うようになりました」

成人になり、発作の数も減少。
「親亡き後」を考えるように

「小学6年の時の組み体操の写真です。特別支援学級担任の先生と介助の先生が、ひとつひとつ聖憲が参加出来る形を考えてくださいました。キヨの真剣なドヤ顔が嬉しかったです」(林さん)

現在は発作の数も減り、落ち着いた生活を送っているキヨ君。

「現在は生活介護を受けながら、もし私たち親に何かあった時のことを考えて、ショートステイを体験したり、一人でご飯を食べる練習や関わってくださる支援員さんを増やしたりと、少しずつ親亡き後に向けて動いています」と林さん。

自分が亡き後も息子が自分らしく生きられるようにと、2017年からはドラべ症候群の生活の質向上のためのデータベース制作に着手しました。

「私が知っているドラベ症候群の方で、最高齢の方は36歳です。医療の進歩に伴い、ひと昔前は早くに亡くなると言われていた病気でも長く生きられるようになった今、親亡き後の不安は尽きません。ドラべ症候群の方たちの生活の様子をデータとして集計・更新していくことで、患者や患者家族の生活が見えてくると同時に、データを様々な方法で生かしていくことができると考えています」と林さん。

「成人を迎える頃から車いす生活になると言われていましたが、マラソンと足こぎ車いすに出会い、また走ったり、ジャンプしたり出来るようになりました」(林さん)

データベースは、抗てんかん薬の有効率や副作用、受けた予防接種と接種後の異常といった医学的な分野のものから、身体能力や精神面での症状、必要な介助など患者家族だからこその日常生活の実態に関する項目も豊富に網羅されています。

「医学的な項目は、投薬や予防接種の際、注意を促したり副作用を軽減したりする参考になると思います。日常生活に関する項目は、学校や福祉の場で、ドラベ症候群の当事者やその周囲の人たちに向けて、より良い環境を提供するためのヒントにもつながります」

「そしてまた、このデータベースは、ドラベ症候群を研究する医療関係者の方に向けて、患者の貴重なデータとして将来的に新薬や治療法の開発につながる可能性もあります。豊富なデータがあることで、研究してくださる方が増えることも期待できると考えています」

「一人取り残されても、生きていけるように。データベース制作は、私の『終活』」

「聖憲が12才になって、初めて私を『母さん』と言ってくれるようになりました。その頃の写真です」(林さん)

「データベース制作は、は私の『終活』」と林さん。

「彼を連れて死のうと思ったこともあったし、彼が先に死んでしまうと思っていました。でも、ここまで生きてくれた。私が先にこの世を去った時、生活や薬のことなども含め、彼がこれまでと同じような生活を送るために支援してもらうのではなく、その時その時、時代に合ったやり方で支援してもらいたいと思っています。そしてその環境を整えるためには、データベースのように状況や環境を『見える化』する必要があると思いました」

「患者家族は、家族会などで当事者の家族同士、情報交換して不安を解消したりすることもできますが、親亡き後、生活をサポートしてくれる支援員の方には、不安を相談できる場所がありません。彼がポツンと取り残された時に、支援員さんの助けになるもの、指針となるもの、少しでも支援員さんの不安を軽減できるものを何か残せないかと思い、それがこのデータベースの制作を始めたひとつのきっかけでもあります」

愛犬・クレアと散歩するキヨくん。「いつまで歩けるか分からないですが、患者さんや患者家族の皆さんの希望の光になれるように、頑張ってほしいと思います」(林さん)

「昔は『私が死ぬ時にはこの子も連れて行こう』と思っていました。でも今感じていることは、彼には彼の人生があるんですよね。この子にはこの子の世界があって、この子の友達がいるんです。家では食が細くてあまり食べない聖憲ですが、外にでると一生懸命ご飯を食べていたりするんですね。そんな頑張っている姿を見ても、彼が彼の人生を、彼らしく最期まで全うしてほしいと心から思います」

難病「ドラベ症候群」データベース運営継続のための資金を集めるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「ドラベ症候群の研究治療を進める会」と1週間限定でキャンペーンを実施し、オリジナルのチャリティーアイテムを販売します。「JAMMIN×ドラベ症候群の研究治療を進める会」コラボアイテムを買うごとに700円がチャリティーされ、ドラベ症候群の生活の質を向上させるデータベース運営のための資金となります。

「データベース運営には、年間17万円のサーバー代がかかります。また、スマートフォン対応のためにホームページのデザインの一部を改変したいと考えており、あわせて20万円が必要です。ドラベ症候群の患者さん、また同じような症状を持つ難病患者さんやそのご家族、そして未来のために、チャリティーアイテムで是非応援いただけたら」(林さん)

「JAMMIN×ドラベ症候群の研究治療を進める会」12/9~12/15の1週間限定販売のコラボアイテム(写真はベーシックTシャツ、価格は税込3500円、700円のチャリティー込)。アイテムは他にキッズサイズTシャツやトートバッグ、パーカーなども

JAMMINがデザインしたコラボデザインに描かれているのは、さんさんと輝く唯一無二の太陽と、太陽の光を浴びて強く育つ植物の姿。親と子、互いに唯一無二の存在である者同士、愛情を注ぎ合いながら生き生きと強く生きる様子を表現すると同時に、同じ太陽の下、障害の有無にかかわらず、誰もが自分らしく、力強く生きる様子を表現しています。

チャリティーアイテムの販売期間は、12月9日~12月15日の1週間。チャリティーアイテムは、JAMMINホームページから購入できます。JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

難病「ドラベ症候群」のデータベースを制作。ある母親の、我が子に向けた「希望の終活」〜ドラベ症候群の研究治療を進める会(きよくん基金を募る会)

山本 めぐみ(JAMMIN):
JAMMINの企画・ライティングを担当。JAMMINは「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週NPO/NGOとコラボしたオリジナルのデザインTシャツを作って販売し、売り上げの一部をコラボ先団体へとチャリティーしている京都の小さな会社です。2019年11月に創業7年目を迎え、コラボした団体の数は280を超え、チャリティー総額は3,900万円を突破しました。

【JAMMIN】



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