「こんなに簡単なら前から導入しておけばよかった」――これは新型コロナウイルスの感染予防対策として、テレワークを導入したある中小企業の社長の言葉だ。コストもかからないし、対面で会ったときと何ら違いはない。では、なぜこれまでテレワークが広がらなかったのか。労働基準法のあり方からGAFAに象徴する巨大IT企業の登場が意味することを考察した。生産性を上げるために変わるべきは現場より「上司」ではないだろうか。(吉田 愛一郎)

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” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” class=””]新型コロナウイルスの感染拡大でテレワーク、テレスタディーの動きが急加速しそうだ。コロナ失業も出始めているし、内定を取り消された学生が中小企業に駈けこんで「御社の始業時間は何時でしょうか?」など聞いているが、そもそも一斉出勤制度は産業革命以来から始まった工場労働者のためのものであり、ヘンリーフォードが構築した流れ作業による大量生産時代に黄金期を迎えた二次産業の華やかなりし時代の名残だ。

実は労働基準法もそれによって作られている法律だ。一斉に出勤して一斉に工場ラインを始動させて一斉に終業するシステムは、誰か仕事熱心な工員がいて、朝6時に出社してベルトコンベアーを一人で動かされては工場にとって迷惑だし、「子どもが熱っぽいので」とか言って早抜けされても大変なのが工場労働型の二次産業モデルだ。

戦後「ものづくり日本」の旗の下で、ジャパンアズナンバーワンと持ち上げられた日本も、アメリカが三次四次で復活するとずるずるその地位を下げて、日本は今や給与所得者の収入番付は世界22位に沈んでしまった。当時もはや過去の国と言われたアメリカの平均給料は583万円で、今や日本の1.5倍以上である。

これはGAFAの貢献が大きいわけだが、そのGAFAが労働集約型の一斉出勤制度で成り立っているとは思えない。ではG7先進国の一員である我々はどうすれば良いのだろうか?

そんな状態を解消しようとしたのが働き方改革なのだが、いつの間にか残業を止めようという労働時間短縮の時短議論に終始するようになって、労働の効率化の議論がどこかに飛んで行ってしまった。どうも日本は二次産業から抜けだせないようである。

ではどうすれば二次産業から抜け出せて知的労働中心に切れ変えることができるだろうか?答えは簡単、フレックスタイムとテレワークの早急の導入である。

日本人のサラリーマンの何がきついかというと通勤ラッシュとお付き合いだろう。無駄な移動時間を無くして好きな時間に働ければどんなに効率が上がるか計り知れない。

好きな時間と言うとずいぶんだらしなく聞こえるが、言い換えると知的労働は相手から出る問題提起や対する解決や色々な提案や研究が主な仕事だから、おのずから仕事には緩急が付いてくる。時間も9時から5時ではなく、皆で一斉に昼食をとるなどありえない。当然仕事帰りに上司と飲む必要もないから常に体調をベストに保てるはずだ。

「でもテレワークをするにはそれなりの設備やシステムが必要なのでしょう?」という質問があちこちから飛んでくる。しかし本質的なテレワークとは特段なにも新しい事をする必要はないのだ。

「何もしなくてもよい」である。なぜなら殆どの日本企業は大企業から中小零細にいたるまで日本の企業は既にテレワークの環境下にあるからである。テレワークはパソコンがありさえすればできる。たまさかそれが、カメラが内蔵されていないパパソコンでもSKYPEを使えば1000円かそこいらでウェブカメラを買ってきて取り付けるだけでテレワークの環境は整うのである。

でば、なぜ今までできなかったのか。できなかったのではなく、やらなかったのだ。誰がやらなかったのか?もちろん上司でしょう。二次産業で育った古いタイプの上司は部下が触れる距離にいないと不安なのだ。上司さえその凝り固まった考えをかなぐり捨てればその日からテレワークは成立するのである。

「熱がある?這ってでも出社しろ!今日は重要な会議だ!」なんて言って、何も考えずに出勤だけしてくるスタッフを育ててしまっていたのだ。

自然再生エネルギーの開発を手掛けるGreenT株式会社(東京・世田谷)はもともと10人足らずの研究開発が主な業務だったから、今回、突然起こった新型コロナウイルス禍に対応してのテレワークには全く抵抗がなかった。

一晩というより一瞬でテレワークは始まったと言った方が良いかもしれない。今、パソコンを使っていない会社は殆ど無いだろう。電話やイーメールを使わない従業員は皆無である。

もともと違うフロワーや違う部屋で働くスタッフもいたし。山梨や埼玉のスタッフもいたから、むしろ映像でお互いが見えるテレワークで違うフロワーや別室のスタッフや支社とでも業務がまるで一部屋の業務と化したと社長の阿部千瑛は語る。「現場だってオフィスの社長と一体で働いているようです。投資もほぼゼロです」「こんなことなら前からやっていればよかった」とも言う。

GreenTの阿部社長

テレワークは企業だけのものではない。学校はなおさらテレワーク向けではないだろうか?ワークの意味は勉強の意味もあって、問題集はワークブックと呼ばれている。

しかし今までの日本の学校教育も二次産業に合わせてカリキュラムが組まれて「モノづくり日本」の発展に寄与するような学生を育てるようになっていた。特に戦後は創造性より連帯性に重きが置かれて教育が組まれていたようである。

実際欧米もそのような教育がなされていて、日本もそれを取り入れてきたのだが、アメリカの高等教育はすでにそれを卒業しているようだ。現にハーバードなどはかなりテレエデュケ―ションを取り入れているし、日本の有名大学もその過渡期にある。
 
今回のパンデミックに対応して安倍総理は小中高の休校要請を出した。ひたすらコロナの通過を待ち続けている教育機関もあるし、大量の宿題を課している教育機関も多い。

しかしその中で通信教育を以前から推進してきた学校には何の戸惑いもない。神奈川県相模原市にある自然学園の西條隆繁校長は「相模原市でも新型コロナウイルスの感染者が出て死者も出てしまいました。しかし今は電話もない寺子屋時代ではなく、通信インフラが整備されているのだから、教育は生徒を一堂に集めなければできない事はありません。むしろ今回の不運を契機に通信教育であるテレワークをもっと推進すればよいとおもいます。地球温暖化で、いままで数年に一度の疫病も、数年に一度の大災害も毎年のように起きるかもしれません。働き方改革と同じように、この際、集合授業を見直して一気にテレワーク、テレスタディーに向うべきではないでしょうか」と工学博士でもある西條氏は語っている。

相模原市にある自然学園と西條校長

むしろ教育は物流が絡まないから、アパレル、飲食業、興業などよりもはるかにインターネット向きである。テレワークが普及していれば、伝染病を理由に休講にする必要はなかったはずである。

経産省、文科省はもとより他の省庁も、これを契機にインターネット教育をさらに推進するべきである。インターネットはそもそも国家非常時のためにつくられたシステムなのである。

【連載】コロナ後の持続可能性、気候変動と再エネへ①
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加速するテレワーク、変わるべきは現場より「上司」




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