医療従事者や患者家族への差別が相次いでいるそうだ。病院で働く筆者としても、そうした話を聞かされるのは寂しい限りだ。先日、神奈川県知事の黒岩 祐治氏が医療従事者に対して「コロナファイター」という言葉を使い、「軽すぎる」と批判を浴びた。黒岩氏としては、悪意ではなく医療従事者に対して賛美と応援を込めてその言葉を使ったつもりだったのかもしれない。個人的には、あたかも医療従事者だけがウイルスに対して闘っているのだという印象を与えるのはまずいと思う。今はもうすべての人がウイルスと闘っているのだから。(弦巻星之介)
医療従事者もメディアを見ている。同僚と、仕事の合間にそんな話をしたりもする。メディアでは、自粛をしない人を叩く風潮と経済を動かせと声高に叫ぶ論調が激しくぶつかっているように見え、悲しくなる。明るい未来が描きづらいからだ。ここぞという時に心が折れそうになる。
誤解を恐れずに言えば、「なんとかしたい」という気持ちから発する言葉は、みんな正しい。それは人それぞれコロナ禍によって陥っている事情が違うからだ。持病があって絶対にコロナに感染出来ない人と、営業したくても出来ない経営者とでは、その主張が違って当然なのだ。
この闘いの途上で、いつか線を引かなければいけない日が来るだろう。コロナが潜んでいることを前提に、わたしたちはそれぞれの日常生活を再建しなくてはいけなくなる。でも今のままでは、きっと意見が違う人同士の対立が激化し、社会そのものが疲弊していってしまうだろう。わたしたちはそんな社会は見たくない。
100か0かの議論をするのは止めよう。3.11などの過去の災害について思い出してほしい。たとえ大きな声で違う意見を言う人を黙らせても、黙らされた側の怨嗟は間違いなく社会に残り続ける。そうした怨嗟はこの先の社会を蝕み、コロナ禍が終わっても新たな負の連鎖を続けるだろう。
そうならないために、今はまず違う主張を持つ他人との共通する想いを見つけ出してほしい。平和で健康な社会で日常生活を楽しく送りたい。そんな共通する想いを見つけたならば、どうやって力を合わせれば、感染を早く終わらせられ、速やかに経済活動を再開出来るのかを考えてほしい。
政治家や医療従事者がこのコロナ禍のすべてを解決することは出来ない。そんな現実を互いに認めたならば、自分だけが割を食っているとは思わずに、違う苦境に立つ他人に興味を持って、思いやりの言葉をかけてほしい。そして一日の最後には、そうやってうまく他人と歩調を合わせることが出来た自分をぜひとも褒めてあげてほしい。
当たり前だが、わたしは医療従事者のすべてを代弁することは出来ない。でも多くの医療従事者の望みが、患者が回復して社会に戻ることであるのは容易に想像出来る。
もしも本当にわたしたち医療従事者に賛美や感謝を伝えたいのであれば、回復した患者が戻っていく社会をどうか優しいものにしてもらいたい。すべての人がもう「コロナファイター」なのだから。
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