福島第一原子力発電所の事故以前から、原子力については高い見識を持ちあわせ反原発運動に参加してきたShing02(シンゴツー)氏。これまで、自身のホームページで発表してきた原子力に関するレポート「僕と核」や様々な楽曲を通じて原子力問題に警鐘を鳴らしてきた。
2011年には、革命後のエジプト、ニューヨークのオキュパイ・ムーブメントの現場にも足を運んだ。歴史的な激動の年となった2011年だが、世界を揺るがした2つの震源地を訪れ、今、何を思うのかを聞いた。(聞き手・編集部=赤坂祥彦、写真・森本洋子、撮影協力・ラケヤキ)

■矛盾は常にある。それは原子力に限った話ではない

――福島での原発事故以前から原子力問題に警鐘を鳴らしてこられました。事故が起こった時、どのような感情に襲われましたか。

まず原発をいち早く心配していた映画監督の鎌仲ひとみさんと連絡を取り、「どうやら危ないらしい」ということが分かりました。状況がどんどん悪化し、炉心溶融の可能性が聞こえてきました。自分は専門家ではありませんが、原子力発電所で働いたことのある人たちの話はたくさん聞いてきたので、「これは、そう簡単に落ち着く問題じゃない」ということはすぐに分かりました。人生で最も強いストレスを感じました。

――甚大な事故の被害に加え、その被害が更に拡大する可能性に対してのストレスということですか。

そうです。保管されている使用済み核燃料の数を単純に計算してみても、とてつもない量の放射性物質がたまっていることは専門家じゃない自分にも明白でした。「これからもっと爆発するのか」など心配していました。それが原子力の怖さです。事故が起きて10の被害が発生しても、それで終わるわけではありません。被害が100にも1000にも拡大する可能性がある。そこが一番、こわい点です。

ストレスがピークに達したのか、指の爪が急に1センチほど伸び、狼のような手つきになっていたこともありました。日本にいないにも関わらず、心身が極限まで疲れていたのだと思います。

――まずは、どのような行動を起こしたのでしょうか。

2月に録音してあった「誉(ほまれ)」という曲をネットで配信しました。自分の国に対する思いを綴った曲です。曲の内容が現実と余りにもシンクロしていたので、プロデユーサーと相談してすぐに実行に移しました。

その後は、自分が2006年に原子力について書いたレポート「僕と核2006」に立ち戻り、更に調査をすることにしました。放出された放射能性物質にどう対処すればいいのか、家族や友人のためにも調べておく必要があると思ったからです。

――お住まいのあるアメリカから、日本政府と国民の対応はどのように映りましたか。

枝野幸男官房長官(当時)の「ただちに影響はない」という発言に振り回されていると感じました。あの言い回しは英語で「ノー・イミディアット・デンジャー(No immediate danger)」と表現します。アメリカ政府も国民を安心させるためによく使います。

アメリカではきちんと「危険」と表すのに対し、日本は「影響」という単語が使われた。「影響」という言葉は曖昧です。多くの人が「ただちに」という部分に反応しましたが、「影響」の中身についてもっと突っ込むべきだったと思います。

――前回の取材では基礎的な知識が必要だと仰っていました。

多くの人に欠落している部分です。おそらく、産業界は、被爆の影響については、特定の白血病や甲状腺のガンしか認めないでしょう。

一方、医学的な見地に立てば、糖尿病や慢性疲労、心不全をはじめとしたありとあらゆる病気につながるというのは分かっていることです。放射線は人体細胞に直接ダメージを与えるし、間接的にも活性酸素を非常に多く作り出し、負荷を与えることは事実です。

――8月には革命が起きたエジプトを訪れました。

自由を手にした社会が向かっている方向性に人々はストレスを感じているようでした。エジプトでは革命は成功したけれども、軍部はまだ力を握ったままです。暫定政府も落ち着かず、憲法も定まっていません。貧困問題も依然として深刻です。

「自由」というのは皆が受け入れやすいコンセプトです。しかし、エジプトは反米を掲げながらも、アメリカからの経済支援も必要としています。その現実を見たときに自由というのはそう甘くないと感じました。

――その後は、オキュパイ・ムーブメントの中心地であるニューヨークに足を運ばれました。

一番、関心したことは、「自分たちは民主主義を実践する」という意思をすごく大切にしていたことです。物事を決める時は、全員が話し合いに参加し、多数決で決めます。拒否権も全員にあります。批判の声も必ず聞かれる仕組みです。

その代わり、多数決で決めたことに対して異を唱えるからには、理由を説明して全員を説得する必要があります。

――ユニオン・スクエアでは、学生に混じってデモに参加されていますね。

ユニオン・スクエアからウォールストリートまで何万人と一緒に駆け抜けました。参加者の多くは、学生ローンや失業などの経済的困窮状態にある人たちです。彼らが、そのような意思表示を行うことが悪いことだとは思えません。

そういう状況下にある人びとを、言い方は悪いですが、この社会のシステムは見殺しにしている。とても機能しているとは言い難い。大手メディアはデモに参加し逮捕された人を「システムを壊そうとしている」悪者として祭り上げるのが得意です。でも、それは違います。彼らは壊れたシステムを直そうとしているのです。彼らを悪者として取り上げるメディアを見るたびに不公平を感じます。

 

「『革命』は掛け声であり、変革は常に起きている」と語る

 

――オルタナのような社会変革をその存在使命に掲げるメディアがたくさん出てくることで、大手メディアも変わってくると思います。


いわゆるオルタナティブなメディアやソーシャルメディアが、大手メディアを必要以上に意識する必要はないと思います。大手を意識することで、オルタナティブな立ち位置に縛られてしまう危険があります。


オルタナティブなメディアに何が必要かといえば、外部からの圧力を受けずに、必要としている人たちに質の高い情報を届けることに集中することだと思います。


壊すのではなく、壊れた世界のシステムを直す」後半へ
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