「奇想天外旅コラム」では、世界中を旅している若者がその土地で感じたありのままの想いを特集しています。今回は、ラダックに旅している武士雄飛さん(23)に寄稿してもらいました。前編・中編・後編の3部作のうち、後編を紹介します。*前編中編はこちらから。





体調が良くなるか良くならないかの境目を彷徨いながら、毎日が過ぎてゆく。

ラダック入りしたときよりかは俄然調子がいいのだが、本調子には程遠いといったところ。パンゴン・ツォへと行っただけでは勿体無いなと思い、ヌブラやダーなどへ行こうとも考えたが、とりあえずデリーへ戻る航空券を手配することにした。

帰りも予算的に陸路のつもりだったけど、体力的にも精神的にもまた同じ峠を越えて行くことは不可能だという結論に至った。航空券をネットで予約し終え、あとの数日はのんびりすることにした。空路で帰ると決めてから、気持ちの軽さからか体の調子はずっと良くなった。

最終日にもなると、この土地でのんびり過ごして終わるのが急に勿体無く感じてしまった。ゴンパ巡りもせずに、ただただ毎日、高山病を理由にだらけていただけになってしまう。

そして、決まりの悪いことに、最後の2日間はびっくりするくらい体調が回復していた。最終日はバイクを借り、ラダックを存分に散策することにした。

常識を全て無視したインドの交通ルールの中でバイクを運転するなど考えたことなどもなかった。けれど、ラダックは北海道のような一本道が続く。こんな道ならば難なく運転出来るだろう。

バイクに跨り、南へと走らせた。どこかの村にでも辿り着いて、のんびり現地民と遊べたらいいなという淡い期待を抱きつつスタートした。どこまでも続く青空の下を走るのは、思っていた以上に気持ちのいいことだった。

ビックサンダーマウンテンやスプラッシュマウンテンのような山々の間をすり抜けて道は続く。10キロ走っても20キロ走っても、信号というつまらない足止めを食うこともない。なんて気持ちがいいのだろう。

村で遊ぶという曖昧な目的を達成するために、わき道へ入り舗装されていない道を進むも行き止まりというパターンが続き、曖昧な目的を諦めるのにそんなに時間はかからなかった。バイクを止め、ひと休みすることにした。

ヘルメットを外し、上着を脱いでみる。汗ばんだ身体に風が一気に吹き抜ける。これまた、なんて気持ちがいいのだろう。近くでは、木陰を利用しておっちゃんがお昼寝をしている。

路端で眠るおっちゃん


道の真ん中で堂々と寝っ転がっていびきをかいているおっちゃんに対して、通りすがるラダッキーたちが皆声をかけて行く。「風邪引くぞ」とか「危ないぞ」とでも言っているのだろうか。あたたかい光景だった。

そんな光景を見ている内に満足してきたのは言うまでもない。空腹を満たすためにひとまずレーの街まで戻ることにした。

食事のあとは北へと向かってみた。先ほどまで違い曲がりくねった細い道を進んで行くと、下校中と思われる子供たちを見かけるようになった。『じゅれ〜』とお得意の魔法のコトバで挨拶をしながら道を進んで行く。

子供たちの数は数えられないほどに増え、魔法のコトバのオンパレードだった。愛らしい笑顔を向けてくる子供たちには、頬が緩みっぱなしだ。きっとこの先が学校なんだろうなと思いバイクを走らせると、あっという間に学校らしき施設に辿り着いた。

迷うことなく、そこでバイクを止めた。日本であれば、学校の前にバイクで乗り付け、生徒たちが下校する様子を見ていることなど許されないだろう。即、警察官のお出ましだ。

しかし、ラダックではそんな様子はなく、僕に対して魔法のコトバが止まらない。僕も『じゅれ〜』と返す。車で迎えに来ているお母さんから、スクールバスの中から、子供と手を繋いで帰るお父さんから、先生と思われる人から、『じゅれ〜』『じゅれ〜』が止まらない。これまた、これまた、なんて気持ちがいいのだろう。

下校中の子供たち


最初の目的とは大きく逸れたにも関わらず、僕は大きな満足感を得ていた。帰り道でもすれ違う人たちと魔法のコトバの交換をしながら、ゆっくり街へと戻った。

翌朝、朝食用にパンを買い、そのまま空港へと向かった。小さな空港から小さな飛行機は飛び立ちデリーへと向かった。スリナガル経由で2時間程のフライトを終え、今回の旅の出発地点であるデリーへと戻ってきた。

飛行機を降りると、ラダックの乾いた空気とは一変し、蒸し返すような熱気に包まれた。少し歩くだけで汗が滲んでくる。デリーの熱気に触れ、ラダックの旅の終わりを感じた。

これからもう少し旅は続く。魔法のコトバの余韻に浸りながら、残りの旅も楽しみたい。ラダックという土地と、ラダックで出逢った人たちに感謝しなくては。今は、『ありがとう』じゃなくて、『じゅれ〜』のひと言を。(寄稿・武士雄飛)