『こちらは宮城県気仙沼市の様子です!鹿折地区では大規模な火災が発生しています!』
―氾濫する情報の中で「気仙沼」という単語が耳に残った。それがすべての始まりだった。

高校2年生の時、研修旅行で平泉、気仙沼、南三陸、松島を訪れた。特に気仙沼と南三陸では海の幸をたくさんいただいた覚えがある。その時にお世話になった気仙沼ホテル観洋と南三陸ホテル観洋が2年半後に避難所になろうとは、もちろん当時は知る由もなかった。

震災が発生し各地の被害状況が明らかになるにつれ、東京にいた自分はあの研修旅行のことを思い出していた。何か自分にもできることがあるはず。活動を始めるのに理由はそれで十分だった。3月20日に、震災当日にできたばかりのYouth for 3.11に加わり活動を開始した。4月には3週間ほど気仙沼で活動させてもらい、津波が襲った街を目の当たりにした。あの時の経験のすべてが、今も活動の原動力となっている。

あの日からもうすぐ一年が経つ。

3月11日に向けて再び震災が注目されているが、“あれから一年”などがない限り注目されなくなってしまったのかと思うと非常に悲しい。逆に言えば、震災関連・復興関連の情報に敏感になるなどして東北に興味・関心を持ち続けることこそ、私たちにできる最も簡単でかつ実践できていないことではないだろうか。3.11をどう迎えるかではなく、3.11以降に何をするか。現地でボランティア活動するにしても東北の物産を買うにしても、すべては「忘れないこと」から始まると思う。

復興までの道のりは長いだろう。しかし、当たり前にくると思っていた2011年3月12日を迎えることができなかった人が日本に20000人弱もいることを、残された私たちは忘れてはいけない。(寄稿・Youth for 3.11 慶應義塾大学2年 斎藤 颯)


Youth for 3.11