始めたばかりのころは、視界が遮られるので自分の居場所やボールの投げている方向が分からなかった。しかし、聴覚だけに集中するスポーツはそれまで経験したことがなかったこともあって夢中になっていったという。
しかし、順調なスタートではなかった。2006年、初めて参加した大会は負けが続き、最終ステージの日本選手権に出場することすらできなかった。
負けず嫌いな性格から「何とか強くなりたい」と練習の日々。中村選手たち仲間たちにもアドバイスを求めて教えてもらったのが、それまで女子選手はやったことがない、上下に弾む「バウンドボール」の投球だった。
練習を積み重ねてバウンドを習得し、翌年2007年の日本選手権は4位。2008年、ついにチーム初優勝を果たし、初めて最多得点賞と最優秀選手賞も獲得した。
その後、日本チームの集まる合宿では、男女両チームの練習相手となり、2009年東京で開催されたアジアユース大会ではアシスタントコーチとして女子ユースを支えた。
■パラリンピック選手と切磋琢磨