国内外で15店舗を持つマザーハウスの山口絵理子代表は社長であるが、生粋のデザイナーだ。作ることが好きで、バングラデシュに持つ自社工場では、現地の職人たちに混じって、朝7時から夜10時まで食事も取らずに黙々と汗を流す。年の6割ほどを工場で過ごす彼女は、何のためにそこまで働くのか。社会課題のためか、それとも、自分自身のためか。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)

マザーハウスの山口代表。同ブランドのバックの9割をデザインしている

■素材が全て

――2006年に創業して以来、ほぼ全てのバックのデザインを担当されています。よくデザインするときは、「その商品を持つ誰か一人を想像する」と言われますが、山口さんはデザインするときに誰かを想像するのでしょうか?

山口:商品を店舗内に飾るときには、お客さんのことを想像しますが、デザインするときには、誰も想像しないですね。とにかく、この革がどうなりたいと思っているのか、素材の声を聞くようにしています。素材が一番光る形を、ものすごい多くの方程式の中から見つけだすことに集中します。

――お客さんの趣味や趣向ではなく、素材だけを考えるようになったのはどうしてでしょうか。

山口:これまで400ほどのバックを作ってきて、売れるものも、売れないものもありました。私がどんなバックを作りたいのかと突き詰めると、素材の意思を引き出している作品だと分かりました。

――現地の自社工場で、年の6割を過ごします。週に6日間、朝から晩まで、ほぼ休みなしで働いていますが、原動力はどこにあるのでしょうか。

山口:作りたいから、作っています。お腹が空いたから、ご飯を食べるのと同じです。より良い社会のため、貧しい暮らしをしている人のために、モチベーションがあるのではなく、工場のみんなで好きなモノを作れるから、続けてこれたのです。

■現場にこだわる理由

――文化の違う人と信頼関係を築くためには、生半可な覚悟ではできません。山口さんは、ベンガル語を勉強して、現地の職人と一緒になって働いています。信頼関係を築くまでには大変な苦労もあったと思いますが、何か良いきっかけはありましたか。

山口:現地の人と信頼関係を築くためには、いくら「社会のために」と言葉で伝えても、響きません。それよりも、作った商品にいくら注文が入ったのかを求められます。だから、良いモノを作ろうとする態度で示しています。

--日本では、腹を割って話し合うときは酒の席など、仕事以外の部分でコミュニケーションを取ることもありますが。

山口:仕事に関することは仕事で返さないといけません。プライベートで返して、コミュニケーションを取ろうとするのは日本人的発想だと思います。良いモノを作って、認めてもらうこと以外に、健全な信頼関係を築く解決策はありません。

例えば、私が工場の職人たちに対して、ハードルの高い要求をしたとします。もちろん反発されます。でも、最後には協力し合い、みんなで乗り越えられれば、信頼関係はより強固なものとなります。

――工場の職人たちからの反発を受けても折れないのはなぜでしょうか。

山口:折れないわけではありません。みんなと一緒にどうしたらできるようになるのか話し合うのです。彼らに聞く耳を持たずに、私だけが一方的に伝えている状態だと、当然理解されません。職人たちと、どんなデザインにするのか意見を出し合います。その上で、私が彼らにリクエストします。

仕事上の立場に関係なく、職人たちはどんどん意見を出してきます。私も、彼らの意見を聞き入れます。みんなの意見を聞いていくうちに、自然とみんなが力を貸してくれて、良いモノができあがります。だから、現場にいるのです。

■「エシカルは、よく分からない」

――現場主義の考えはいつから持っていましたか。

山口:現場を知らないと、モノができなかったからです。創業した当初は、不良品しかできなかったり、契約していた工場の職人たちに裏切られたこともありました。そこで思いついた解決策は、自社工場を持つことでした。

現地に自分たちの工場を持つことが、もっとも近道であり、ベストな解決方法でした。課題を解決する一番の近道ではありましたが、成し遂げるためには24時間あったら、9割ほどの時間を割かないといけなかったですね。バングラデシュで工場を建設し、現地で雇用を生み出したことで、「社会起業」や「エシカル」などのキーワードで、トレンドのように言われていますが、その意識はありませんでした。

よく誤解されるのですが、社会課題をビジネスの力で解決するソーシャルビジネスを意識して行っているのではなく、作りたいものを作って、それが結果として、ソーシャルビジネスになっているだけなのです。

――山口さんにとって、ビジネスをする上でエシカルとはどんな存在でしょうか。

山口:よく分からない、というのが本音です。今、話していることは、主語が全て私です。私個人の体験ストーリーです。しかし、エシカルを語るときに、主語が私ではなくなる気がします。だから、エシカルが私には、リンクしない気がするのです。きっと現場で戦っている人はみんな同じ気持ちだと思います。モノづくりで自分の限界に挑み、作りたいから作っているだけです。

――しかし、工場をバングラデシュにし、フェアトレードをしている点はエシカルだと感じました。

山口:私は、彼らのことを直感で才能に溢れた職人だと見ています。「支援したい」「助けたい」ではなく、尊敬の目で見ているのです。だから、意見を聞き入れて、一緒に働いているのです。これまでに作ってきたバック何一つとして、一人で作ったものはありません。いつも隣にいるベンガル人が、まるで先生のように教えてくれるのです。

――24歳で起業し、それから数々の裏切りや挫折にも遭ってきました。それでも諦めずに続ける山口さんは、強さと優しさを持っている人のように見えます。強さと優しさを持つ人には、必ず支えてくれて、待っていてくれる人がいます。山口さんにとって、待っている人は誰でしょうか。

山口:うちのスタッフですね。成田空港に着いても、バングラの空港に着いても、「待っていたよー」「次はどんな新作を作る?」など、スタッフからの電話が鳴り止みません。台湾でもネパールでも同じです。

仲間からの声を聞くと、どんなに疲れていても、満面の笑みで工場に行こうと思えてくるのです。

――ソーシャルビジネスに興味を持つ若者たちは増えています。ソーシャルな道を志す若者たちへメッセージをください。

山口:ソーシャルとか考えないほうが良いと思いますよ(笑)。自分が好きなことを突き詰めて、夢中になれば、その姿に、色々な人が夢中になります。あなたが夢中になっている背中に惹かれて集まってきた仲間たちとは、一番健全な信頼関係を築くことができます。そして、それがあなたの力となります。


マザーハウス
・マザーハウスも出展している「ルームス27」は9月13日まで

山口絵理子(やまぐち・えりこ)
1981年埼玉県生まれ。小学校時代はいじめに遭い、不登校。中学時代は非行に走るが柔道を始め更生する。埼玉県立大宮工業高等学校では「男子柔道部」に唯一の女子部員として所属し、全日本ジュニアオリンピック7位。慶応義塾大学総合政策学部に入学。大学4年時、ワシントンの米州開発銀行でインターン経験。政府の開発支援に違和感を抱き、バングラデシュへ。バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に入学。在学中、三井物産ダッカ事務所でインターンを経験。2006年に株式会社マザーハウスを設立し、現在、株式会社マザーハウス代表取締役兼デザイナー。「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞。「Young Global Leader」(YGL)2008選出。ハーバードビジネススクールクラブ・オブ・ジャパン アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2012受賞。また当社は現在バングラデシュ、ネパールでバッグや服飾雑貨のデザイン・生産を行い、東京を始め、福岡、大阪、そして台湾など15店舗で販売を展開している。著書に『裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記』『裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける』(ともに講談社)