製作期間中は専属の担当者が3人、つり天秤の製作に専念する一方、工場を持つ協力会社探しにも奔走した。納期の短さからなかなか協力会社を見つけることはできなかったが、以前から付き合いのある会社が名乗りを上げてくれた。

設計では、失敗の許されないプレッシャーのなか、細かい荷重を計算し、組み立てを考えながら何度も図面の書き直しを余儀なくされた。図面の修正がある度、製造作業も変更しなければならない。幾度もの作業のやり直しに「もう無理だ」という声が何度も社内で上がった。

その度に全社員が「国難のため、私たちにできる最善を尽くそう」と呼びかけ合い、同年7月、つり天秤の完成にこぎつけた。多くの苦労を全社で一丸となって乗り越えたことで「無理だと思ったことも、その気になれば必ずできる」という思いを、社員みなが共有できるようになったという。

ただ、天秤の完成は放射性物質の流出を防ぐための第一歩にすぎないが「製造をする人から現場で処理をする人まで多くの人が関わっているなか、カバーが完成し、無事に取り付けが終わった時はようやく安堵した」と岡室さん。

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