宮城県石巻市で子どもたちへの教育支援を行うNPO TEDIC(テディック)の門馬優代表(24)からの寄稿を紹介する。早稲田大学の大学院を卒業後、故郷石巻に戻り、活動を続ける彼の原点とは何か。
■
「僕は震災で家も流されたし、思い出のある町も流されたし、たくさんのものを失った。それでも震災のおかげで救われたと思ってるんだよ」
僕の地元である宮城県石巻市は津波によって壊滅的な被害を受けました。僕も大切な故郷を、幼馴染を、駄菓子屋さんや公園を、思い出のある町を一瞬で奪われました。
僕は今、TEDIC(テディック)という被災地の教育支援団体を立ち上げて、毎週末教員志望の仲間たちと石巻の子どもたちのもとへ訪れ、勉強を教えたり、進路の相談にのったりしています。
10カ月間、立ち上げから子どもたちと関わり続けていく中で、刻々と変化していく石巻と、揺れる子どもたちの心のうちに毎週末触れてきました。
この言葉に出会ったのは、8月頃のある避難所でした。ある中学生の男の子に勉強を教えていたところ、ポツリと口にした言葉です。
この男の子は、元々ある事情で学校に通うことができず、また両親が震災直前に失職し、精神的な荒れを何度もぶつけられていた生徒でした。津波によって避難所生活を余儀なくされたことで、たくさんの人たちの目に触れ、家庭に対しても、彼の不登校状態に対しても支援が入ったそうです。
「僕はまだ幸せ。でも、津波が来なかったら一生このままだったと思う。石巻以外の日本には、そんな津波とかが来なくて、僕みたいに気づかれないで苦しんでいる人がたくさんいると思う。そんな人たちを助けられるように、将来なりたい」
震災で明らかになった問題は、震災による問題だけじゃない。津波が来る前から、実は僕たちの身近に潜んでいた問題。
僕たちが今できることは、震災の問題を震災の問題として終わらせるのではなく、改めて僕たちの日常の問題として、捉えなおすことだと思います。
そんなことを思いながら、今週もまた石巻の子どもたちのもとへ訪れたいと思います。(寄稿・NPO TEDIC代表 門馬優)
・TEDICはこちら