2012年に法政大学(東京・市ヶ谷)を卒業し、岩手県陸前高田市広田町に移住した三井俊介さん(24)は、大学時代のボランティア仲間とNPO法人SETを立ち上げ、地方の課題を若者が解決する事業を展開する。去年は人口3500人の広田町に56大学から250人を呼び込んだ。
広田町は、広田湾に面した漁師の町だ。震災時には、広田湾と太平洋の両側から津波被害を受け本島と分断され、陸の孤島となり、支援の手が遅れていた。
人口3500人のうち死者・行方不明者は50人を超し、1112世帯中400の世帯が全壊・半壊となった。町に1校あった中学校も津波で流され、150隻あった漁船も1隻を除いて全てなくなった。
三井さんは、東日本大震災後、すぐに大学のボランティア仲間に声をかけ、復興支援組織を立ち上げた。広田町との出会いは、偶然、支援先と決まったからだ。
なぜ若者は縁もゆかりもなかった土地に惹かれたのか。
ビジネススキルも実績もなかった若者はどのようにして生きる知恵を身に付けたのか。
この特集では、三井さんが東北移住したことで印象に残った7つのエピソードを紹介する。
流行りの施設はなくても、四季によって異なる顔を見せる自然に癒される。
田んぼ沿いの道を歩けば、収穫したばかりの野菜を、港に行けば、新鮮な海の幸をおすそわけしてもらえる。
町民たちの「足るを知る」生き方に刺激を受け、「丁寧に生きられるようになった」と話す。
復興の今を伝えるとともに、東北で暮らす一人の若者のライフスタイルに迫る。
三井俊介:1988年茨城県生。2012年3月、法政大学法学部国際政治学科卒業。2008年6月にサッカーを通した国際協力を行う学生団体WorldFutを設立。震災直後の2011年3月13日、復興支援団体SETを立ち上げた。電子書籍『ミツメル』などを出版。
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2012年3月、法政大学(東京・市ヶ谷)を卒業した三井俊介さん(24)は岩手県陸前高田市広田町に向かった。移住して、復興支援にかかわるためだ。ビジネススキルも実績もない若者は、信頼してもらうためには、「人生を投げ打つしかなかった」と話す。
法政大学を卒業し、移住した岩手県陸前高田市広田町では三井俊介さんと同世代に当たる20代が少なかった。広田町の人口は3600人、その内18~29歳は290人ほどでわずか8%。東京ではパソコンができる若者は珍しくないが、ここでは希少な存在だ。「同世代がいない」ことが、専門性につながった。
東北は岩手県陸前高田市広田町に東京から移住してきた三井俊介さんは、一体どのような日々を送っているのだろうか。連載3回目は、三井さんの日々の働き方に迫った。海と山、畑に囲まれた土地では、季節や天候によってスケジュールが異なる。
「V2」――ボランタリーでも、モチベーションを上げるキーアイデア
「LINEで既読したらすぐにスタンプを押す」「チャットで事業の意思確認を行う」――ボランタリーで集まったメンバーを動かすコツの一例だ。学生と若手社会人合わせて20人のNPO法人SETに、メンバーのモチベーションを上げる方法を聞いた。キーは、「リスペクト」をどのように形にするかだ。