太陽の街宮崎から、スムージー用野菜のネットショップ「VEGEO VEGECO(ベジオ べジコ)」は生まれた。運営しているのは、宮崎県出身の2人の現役大学生。「野菜を食べる男の子(ベジオ)と女の子(べジコ)がもっと増えるように」という理念のもと、スムージーブームに乗り若者たちに旬の食材を届ける。(オルタナS副編集長=池田真隆)

代表取締役の平林聡一朗さん(右)と専務取締役の田村健登さん

同ショップの運営母体は宮崎県に拠点を置く「あらたな村」。代表取締役を務める平林聡一朗さん(法政大学法学部4年)と専務取締役の田村健登さん(22)の2人の社員で構成される。

2013年5月からスムージー用青果宅配専門店として「ベジオ べジコ」をオープンする。ブドウ、夏イチゴ、葉ものといった食材を、宮崎県内の30の農家と直接取引し、仕入れている。

一度の配送で届く量は、500mlのスムージーが1日1回で5日間飲めるほどで、金額は3000円だ。定期購入は、毎週、隔週、毎月から選ぶことができ、基本的にキャンセルがでない限り送り続ける。関東、福岡、大阪などの飲食店への卸もしている。

届くものは食材だけでなく、季節によって異なるレシピや、サービス食材もついた「御福分け袋」も入っている。現在、定期購入者、新規購入者も合わせると、月に2000件ほど配送している。

「宮崎で終わりたくない」

代表の平林さんは、「流行りのスムージーを宮崎発の文化にしたい」と意気込む。そう思う背景には、地元宮崎への愛着がある。過疎化が進み、特に農家がその象徴の一つだ。

平林さんたちが契約している30の農家の年齢は高く、担い手不足が深刻だ。「野菜をおしゃれなイメージにして、新規就農者を増やしたい」と話す。

今では、宮崎の活性化に精を出す平林さんだが、数年前までは真逆の考えを持っていた。「宮崎で終わりたくない。世界に出たい」という思いを強く持ち、高校時代は米・オレゴン州への海外留学をし、大学進学を機に上京した。将来の夢は国連職員になることだった。

しかし、転機は2011年に起きた東日本大震災で訪れる。平林さんの友人が復興支援活動をしていたこともあり、同年夏には岩手県陸前高田市にボランティアで行き、それ以来定期的に通うようになった。

甚大な津波被害を受けた東北の町の復興に力を注ぐにつれ、地元への愛着が沸いてきたという。東北も過疎が進んでおり、宮崎と同じ問題を抱えていた。ボランティアをして東北から帰るたびに、故郷のことが心配に思うようになる。

■宮崎が第二の故郷に

ブドウ農家の方と写る田村さん

宮崎で何かできないかと、2012年夏から同県に本社を置くECサイト製作会社アラタナ(宮崎県宮崎市)にインターンを申し込んだ。ちょうどそのときに、現在代表を務める「あらたな村」が休業していた。あらたな村は、宮崎県五ヶ瀬町の新鮮な食材をネットで販売する事業を展開しており、アラタナのグループ会社であった。

ITの力で宮崎を盛り上げるべく働いていたが、農業の高齢化問題に関心が強くなる。ついには、IT分野よりも農を仕事にしていくことを決意し、就農する旨をアラタナの濵渦伸次社長へ伝えた。

すると、濵渦社長から、「宮崎の農業を盛り上げるためには農家になるのではなく、農家と消費者を繋ぐ物流になれ」と言われる。平林さんは、自分が農家になるよりも、農家の物流を盛り上げたほうが効率が良いと認識し、休業中であった、「あらたな村」の代表に就任することに。

あらたな村では、同県五ヶ瀬町の食材のネット販売をしていたが、平林さんは、「若者が思わず買ってしまうようなサービス」を立ち上げるため、スムージーに特化したネット販売に変えた。

目指しているものは、「宮崎が第二の故郷になること」だ。「毎年、親戚から届くお歳暮などのように、宮崎から届く食材を通じて、生産者のことを遠い親戚のように感じてくれたらうれしい」(平林さん)。

平林さんは月に数回ほど、東京などに打ち合わせやスムージーの試食会で出張するが、それ以外は、契約農家への挨拶周りや事務所での作業だ。農家を訪問するたびに、信頼関係が深くなり、いつも契約量以上の野菜をもらうようになった。配送で届く「福分け」袋は、ここから生まれた。

宮崎を飛び出て、世界で活躍したいと考えていた若者は、今ではすっかり地元の変革者になった。男の子でも、女の子でも野菜を食べたくなる、「ベジオ べジコ」の冒険は続く。

ベジオ べジコ