「食べたいものをつくる」――この言葉をかかげ、中国山地の奥深く、岡山県真庭市蒜山に、新しい農業のカタチを提案する「蒜山耕藝」という農家ユニットが暮らしています。「その土地のリズムに合った生産方法を」との思いから、完全無農薬・無肥料で土と会話しながら日々を過ごす彼ら。その暮らし方の裏側にどんな思いがあるのだろう。東京から2時間、新幹線で岡山へ。さらにそこからから約3時間。蒜山へ足を運びました。(オルタナS北海道支局特派員=中尾岳陽)

左から、高谷裕治さん、絵里香さん、桑原広樹さん

蒜山耕藝は、3人の農家によって構成されています。IT企業に勤め、企業のプログラム設計などを仕事としていた桑原広樹さん。関東で生まれ育ち、公務員として働いていた高谷裕治さんと、奥さんの絵里香さん。

高収入のエンジニアという肩書きで、多くの人にとっては「憧れ」かもしれない生活を送っていた桑原さん。その仕事や肩書きを捨て、千葉で農家として働きはじめます。農業を仕事にしようと思った理由を、「自然が好き、と堂々と言えちゃう人間だったわけではなくって。ただ、普段から体が喜ぶものを食べたいと思っていた。それは、無農薬の野菜だったりしたわけですが、首都圏で暮らしていると、なかなか手にはいらないですよね。自分たちが食べたいものを、自分たちで作りたいという想いがありました」と話してくれた。

高谷さんとの出会いは、農家になるために研修先として選んだ農業法人でした。

新たな一歩を踏み出した3年後、東日本大震災、それに伴う原発事故が起きます。桑原さんが営む畑からも、セシウムが検出されました。

「震災で、いままで普通に暮らし、見て見ぬふりをしてきた痛いところを直視させられた気がしたんです。阪神大震災の時なんかもそれは見せつけられてはいたけれど、考えようとすることなんてなかった。大人になって、こういう暮らし方をするようになって、はじめて分かったことでした」という絵里香さんの言葉。

移住を考え始めた3人。条件は、水がきれいで、田畑があること。九州など、様々な候補地が頭をめぐるなか、縁あり訪れた蒜山。この土地で暮らしていくことを決めた理由を、「蒜山のふもと、同じ真庭市内に、わたしたちも大好きな、天然酵母をつかって真摯にパンを作っているタルマーリー(http://talmary.com/)というお店があります。もともと千葉にあったお店なのですが、彼らも真庭へ移住するという話を聞いた。そのことは大きかったです。いまはまだ100%は実現できていませんが、同じ地域内で、循環を実現できたらうれしいですね。そしてなにより、この土地で暮らしたいなあという直感のようなものに従いました。この土地が見せてくれる四季のさまざまな顔は本当にきれい」と話します。

悪く言えば、日本の中でも極端な過疎地域。「変化のない景色に飽きることはありませんか?」という、思わず口に出た質問に、「まったく! むしろ住めば住むほどこの土地が好きになっていきますね」と、笑顔と共にかえってきた言葉が印象的でした。

そして、3人で旧中和村の集落で「蒜山耕藝」を始め、2年が過ぎました。この2年間を裕治さんは「自分たちが追いついていない感じ」と話します。

「最初の5年ぐらいまでは、自分たちが心からしたいこと以外でも、食べていくために働かないといけないと思っていた。でも、この蒜山耕藝の考え方に共感してくださるかたが全国に予想以上にたくさんいたのです。時計の針がぼくたちを置いてはやくまわっているかのような感覚で、それは、もちろんわたしたちにはそのことにとても感謝しているんですけれど、不思議な感じはやはりあります」という言葉が印象に残ります。きっと、彼らのような生産者を求める人たちは多いのでしょう。

最後に、この土地で、蒜山耕藝の皆さんが実践する暮らし方への思いを聞くと、「その土地の自然のリズムを感じながら自分たちが食べたいものをつくる。この暮らし方は、生きることと暮らすことが一致していると感じます。自然のリズムに身を委ね、土と向き合うとがこの一致感を生んでいるのだと思う。この感覚を大事にしながら暮らしたい」という言葉が、裕治さんから返ってきました。

そのことを、そっと「農業という仕事を通して自然の摂理を感じたいんです」と言う言葉にした裕司さん。土との一致感、これは彼らにとってだけではなく、わたしたちにとっても大切な感覚なのではないかと感じました。

広樹さん、高谷さんご夫妻の言葉から感じることと、蒜山という土地のリズム。この2つが調和し、耳にとてもここちよく届く感覚が、とても幸せでした。きょうも、蒜山には、大切なことを大切積み上げながら、日々を耕している3人がいます。

蒜山耕藝http://hiruzenkougei.com/