女流書家 金澤翔子さんの書展が11月11日から12月20日まで、伊藤忠青山アートスクエアで開かれる。翔子さんはダウン症を抱えながらも5歳から書を習い、2012年にはNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書き、2015年には米国の国連本部でのスピーチ、チェコ共和国での個展開催など、世界を舞台に活躍している。書展のテーマは「感謝」、翔子さんが初めて個展を開いてから10年がたった今、支えてくれた人へ書を通して、思いを伝える。(オルタナS副編集長=池田 真隆)

席上揮毫する翔子さんと、サポートする泰子さん=11月11日昼、伊藤忠青山アートスクエア前で

席上揮毫する翔子さんと、サポートする泰子さん=11月11日昼、伊藤忠青山アートスクエア前で

11日、伊藤忠青山アートスクエアで、書展のオープニングイベントとして、翔子さんによる席上揮毫(きごう)が行われた。翔子さんが揮毫した文字は、「共に生きる」。この言葉は、東日本大震災からの復興を願って揮毫したことを契機に、翔子さんの代表作品の一つとして知られている。

翔子さんが伊藤忠青山アートスクエアで書展を開くのは2回目。同ギャラリーは、伊藤忠商事がメセナ活動(芸術・文化振興による社会創造)の一環として運営しており、社会性のある展覧会を入場料無料として開放している。

今回、書展のテーマを「感謝」とした理由について母・泰子さんは、「翔子が初めて銀座で個展を開いてから10年を迎える。これまで、開いてきた個展は250を超える。私が企画したことは一回もなく、すべて皆さんに支えられてここまできた。その感謝を伝えたかった」と話す。

翔子さんは席上揮毫の前に1分ほど祈る。亡き父・裕さんとつながる瞬間=11月11日昼、伊藤忠青山アートスクエア前で

翔子さんは席上揮毫の前に1分ほど祈る。亡き父・裕さんとつながる瞬間=11月11日昼、伊藤忠青山アートスクエア前で

翔子さんは5歳で母・泰子さんに師事。それ以来、2人3脚で書の道を歩んできた。泰子さんが翔子さんの才能に気付いたのは、翔子さんが小学4年生のとき。泰子さんが家で子ども向けの習字教室を開いており、そこに翔子さんも生徒として入れていた。

翔子さんと同い年の子どもたちは筆を持つことに慣れていなかったが、翔子さんだけは、何も教えなくても、自然と持てていたという。泰子さんは、「私が書いている姿を見ていたのだろう」と話す。

それ以来、泰子さんは翔子さんに本格的に書を教え、般若心経を何度も書かせた。父・裕さん(享年52)は、成長する翔子さんの姿を見て、「翔子が20歳になったら、個展を開こう」と提案する。

裕さんは、翔子さんが20歳になる前に他界してしまったが、泰子さんと翔子さんは、約束を果たすため歩み続けた。そして、20歳になった2005年、銀座書廊で個展を開いた。

人生で、最初で最後の個展のつもりだったが、来客者から絶賛の声があがった。こうして、翔子さんの書家としての人生が華々しく始まった。デビューから4年後の2009年には、鎌倉建長寺、京都建仁寺で個展を開き、2011年には、福島に「金澤翔子美術館」を建てた。2012年にはNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫し、一躍世に名を広げた。

今年に入り、活躍の場を世界に広げ、3月にはニューヨーク・国連本部で開かれた世界ダウン症記念会議で日本代表としてスピーチした。そして、9月には、チョコ共和国の西ボヘミア博物館で個展を開いた。

泰子さんは翔子さんが書家としてデビューしてからのこの10年を「とても良いことがたくさんあった」と振り返る。「20歳までは、勉強するにしても、運動するにしてもいつもビリだった。でも、この10年間は感謝しかない」。

今回の書展に特別に展示した「圓相と魂」。翔子さんに円を書かせてみたが、ハートになった

今回の書展に特別に展示した「圓相と魂」。翔子さんに円を書かせてみたが、ハートになった

今後、泰子さんは「ダウン症があっても、こんなこともできるんだということを伝えていきたい」と言う。翔子さんは今年30歳になるが、泰子さんのもとを離れて一人暮らしを始める。「一人暮らしがうまくいけば、ダウン症のお子さんの可能性を広げていける」(泰子さん)。

翔子さんはもともと「30歳になったら一人暮らしをする」と講演会や取材で宣言していて、そのために家事や炊事を覚えていった。泰子さんは心配だが、翔子さんを信じて一人暮らしさせることを許した。だが、部屋を借りるまで苦労の連続だったという。連続して断られ、一時は諦めかけたと告白する。

泰子さんの気持ちを変えたのは、偶然ツイッターで見た投稿だった。その投稿は、「翔子さんは30歳で自立していいなぁ」という内容だった。障がいを持った若者が投稿したもので、これを見た泰子さんは、「ダウン症の子どもの可能性を広げる」という忘れかけていた思いを思い出した。

再度動きだした泰子さんに、救いの手が差し伸べられた。翔子さんが借りた部屋の女性オーナーは、一時は悩んでいたが、そのオーナーの知り合いが翔子さんのファンであり、翔子さんの人柄や生い立ちなどを説明した。

その援護もあり、部屋を借りることができた。荷物を運び、今月末から一人暮らしが始まる予定だ。

泰子さんは72歳、「いつかは私もいなくなる。いなくなったら、翔子は一人で生きていかなくてはいけなくなる。だから、翔子は自立してくれないと困る」と、自分の手から離れて寂しい気持ちと、巣立ってほしいという気持ちが入り交ざった母親の複雑な心境を明かす。「一人で生活することがうまくいくか分からないが、みんなに約束したことなので、がんばってほしい」と目を細める。

翔子さんは、書を通して「みんなに元気とハッピーを届けたい」と話す

翔子さんは、書を通して「みんなに元気とハッピーを届けたい」と話す

【金澤翔子 書展「感謝」】
とき:11月11日(水)~12月20日(日)11:00~19:00
ところ:伊藤忠青山アートスクエア(東京・港)
入場無料

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