タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆八ヶ岳の月

「いい子だいい子だ」と言って末広は犬の顔を両手で挟み何度も振った。犬は尻尾をちぎれそうに振って後ろ足で跳ねた。末広が手を放すと犬は末広の顔を舐めまくった。「分かった分かったグリとイースターに餌をやったら遊んでやる」末広は犬の頭をなでながら立ち上がると傾いている木造の納屋に向かって歩いて行った。納屋の前には古びた一輪車があった。建てつけの悪い木戸を開けると月明かりが差し込んで、押し固められた乾草(ヘイ)や、5センチ立方のヘイキューブやふすまの飼料袋が積まれているのが見えた。

図

「一輪車で運んでくれ」と末広が言うので、啓介は一輪車の取っ手を持ち上げた。末広は4袋の飼料袋を一輪車にドスンドスンと積むと顎をしゃくって馬房に行けと指図した。凸凹の草むらを通ってから馬房の前で一輪車の停めると、後から来た末広が先に立ってイースターの馬房の梶棒を抜いて木戸を開けた。馬は待ちきれない様子で前足の蹄で地面をドンドンと打ち鳴らしていた。

末広がまず座布団ほどに切り整えられた大きさの乾草を投げ込むと、馬はそれを前歯で引き千切った。乾草は馬房の板壁にあたって壁つたいに落ちた。馬はさらにそれに噛みついてまた投げた。

隣のグリと呼ばれた馬が、待ちきれないと言う風に嘶いた。ながーく嘶いてから、ブルブルと甘えたように喉を震わせた。末広が啓介に顎をしゃくったので、啓介は一輪車から同じような乾草を一枚取り上げ、少し歩いてからそれをグリの馬房のなかに放り込んだ。

馬たちはもう前掻きと呼ばれる行動も嘶きもせず一心不乱に乾草を食べ、あたりは馬が草を噛む乾いた音がするだけだった。イースターの馬房でガラーンと響く金属音がした。きっと末広が金属製の飼い葉桶に資料を入れているのだ。

もう一回音が響くと末広が出て来た。一輪車を押して来て啓介に、「ヘイキューブとフスマ、トウモロコシを適当にやっとけ」と言って家に戻っていってしまった。犬が後を追って末広を追い越し、こんどは前から末広に跳びついていた。大きな青い影と小さな青い影が離れたり重なったりした。

啓介はイースターの馬房を覗いて分量を確かめ、木戸を開けると中に入り。一輪車の飼料袋を抱えて、それぞれ同じくらいの分量を天井から吊り下げられた金盥ほどの飼い葉桶に餌を注ぎ込もうとしたが、始めの袋のトウモロコシがザーッと言う音とともに桶に滑り込み、黄色い粒が桶の3分の一ほどに埋ってしまった。啓介は分量を合わせるようにフスマとヘイキューブを少なめにして、なんとか分量の辻褄を合わることにした。グリが体の向きを変えて桶に鼻先をぶつけるように顔を向けてきた。白い息が啓介の目の前に広がるとあたりはぼやけ、馬房は青草の臭いで一杯になった。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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