タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆消えた港

揺れがまた来た。引き込みの電線が、少女が二人で回す縄跳びの縄のように揺れ回り、屋根から瓦がいくつか滑り落ちた。遅い午後の陽が斜めに差して、ざわざわと騒ぐ竹藪を赤く照らしていた。人は一人もいないし、携帯電話もつながらなかった。

とりあえず誰かに会ってこれからの事を相談したかった。リズは「にぎやかなUkedo港に行って他の人々がどうしているか知ろう。お腹も空いたから、お刺身定食でも食べながら考えよう」と思った。車をスイッチバックさせて請戸港の行きつけの食堂に向かった。しかし車が一山越すと、そんな考えは見事に打ち砕かれてしまった。

いつもならこの辺の高台からアカマツ林を透かすと見える港が今日はないのだ。水産会社の向上も、漁協のビルも全くない。それより港そのものがないのだ。景色があった所は瓦礫となった舟や車や人の家と、それを押し流す一面の大水になっていた。水から首だけ出してロープを必死で掴んでいる人や、手を振って助けを求める屋根の上の人たちが見えた。リズの体はわなわなと震えた。

するとそれに呼応したようにまた余震が襲って地面も震えた。リズは揺れる車にまた乗り込み、街に向かった。何かしなければならないと思ったからだ。3キロくらい走ると道路は消防団の赤い車でふさがれていた。窓を開けると、若い青年が「ストップ、ストップ、ノー、ノー」と言って行く手を阻んだ。リズは何か手伝いたい旨を何とか分からせたかったが、言葉は通ぜず。

若者は血走った目で「ノー、ノー」と怒鳴った。リズは諦めて山の家に戻ることにした。若者の「ノー、ノー」ももっともだと思った。自分が街に降りても人の迷惑になるだけだ。家に戻って余震が収まるまで車に居よう。明日になれば揺れも静かになるから、取り出せるものは取り出して引っ越しの準備をしよう。それにしても津波に襲われた人たちはいったいどうなっているのだろう。

「You can do nothing」どうもしようがないじゃないかと男の声がしたような気がした。「だから言わない事じゃなかっただろう」と別れたボブが冷笑しているようにも聞こえた。孤独で無力だった。車を家の庭に止めてシートの背を倒すと、急に気が遠くなって、失神のような眠気に襲われた。夜中、ダンテの神曲の挿絵の様な夢を見て目が覚めた。しばらくそこがどこかわからなかったが、尿意に襲われるとそこが車の中だと分かった。

のろのろと車から降りて用を足すとまた車に乗って寝た。今度は運転席ではないシートに寝た。その方がアメリカみたいで落ち着いた。明け方目が覚めた。東の空が真っ赤な朝焼けに血塗られていた。昨夜から全く何も口にしていなかった。まず食べ物だ、とリズは思った。車の座席の下に昨日のみ残した緑茶が3分の1ほど残っていたので、飲み干した。どこかに行って食べ物と飲み物を買おう、それからゆっくり引っ越しの準備だ。リズはまた車をスタートさせた。

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

◆この続きは11月21日(月)に更新予定です

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