被災地へ行った若者の生の声を聞くシリーズ企画
ミツメル~ぼくらの空はつながっている~
東北地方太平洋沖大震災で被害を受けた被災地に赴き、復興支援活動をした若者が現地に行って実際に感じた思いをありのままに語る座談会「ミツメル~ぼくらの空はつながっている~」がスタートした。
第一回目は3人の学生が集まり「被災地との出会い」をテーマに語りあった。被災者とは誰なのか、悲しみに寄り添うとはどういうことなのか、若者達が実際に体験した日々を振り返る。
この震災は復興まで50年はかかると言われている。最後まで復興と向き合っていけるのは若者世代である。私たちが生きている限りこの震災からは何かしらの影響を受ける。だからこそ、目を背けるのではなく、向き合っていくべきではないだろうか。
被災者の方と同じ方向を見つめるようになるために、今ここから未来への思いを発進する。
瓦礫の撤去から子供たちの遊び相手まで
━現地ではどんな活動をしてきたのですか。
赤坂 医師会と消防団と一緒に震災3日後に入りました。山田町、宮古町、大槌に行きました。遺体を運ぶことや、瓦礫の撤去、生存者を安全な場所へ避難させるお手伝いをさせていたただいたり、県庁と現地の情報をつないでボランティア体制の構築にも関わらせていただきました。そして、このような活動をしてきて、学生のメッセージを伝えていきたいと思うようになりました。メディアが流しているのは視聴率等の問題もあって約3分の1しかなく、ほとんどの地域の情報は放送されていません。ですから、そのような地域の情報発信を私たち学生の力で補おうと思いました。メディアを批判しているのではなく、いい意味でお互い連携していこうと思っています。
鈴木 俺は4月1日から3週間の間気仙沼に入りました。避難所にいる方にヒアリングをしてニーズを聞き、緊急性を要するもの、例えば薬など、俺たちが持っている物を提供し、二次災害を防ぐための活動をやらせていただきました。また、この活動の事務局で働いていたのでヒアリングするボランティアの方のサポートもしていました。
三井 俺は4月6日から19日まで陸前高田の広田地区に入りました。現状調査や津波の被害状況を調べた広田地区限定の調査地図を作りました。また子供たちの学校が始まるまで一緒に遊んだり、勉強を教えたり教育支援のお手伝い、この震災の復興記録をつけるためにインタビューや写真を撮ったり、物資を運ぶことをやりました。
将来の不安から窃盗にはしる高校生も―みんな精神的な傷を負っている
━被災地はどのような状況でしたか。
赤坂 俺が入ったのは震災後すぐだったので、とても悲惨な状況でした。瓦礫のスキマから出ている手を握って泣いている方や、生きたまま焼かれていった子供の遺体などいままで映画の世界でしか見なかった光景がありました。自衛隊の人は戦場よりも酷いと言っていました。
三井 精神的にきつくなってくるよね。
赤坂 被災された方はみんな何かしらの深い悲しみを抱えている。でも、その悲しみを打ち明けられる相手がいない、気づくと壁に話しかけているという症状が、被災者だけでなく自衛隊や現地ボランティアスタッフにもあらわれているんだ。だから、それを防ぐために自衛隊のか方などはみんなで手をつないで今日一日起きたことを全て話したりしていた。
三井 避難所にはそのような悲しみを負った方が集まっているんだけど、隆太(鈴木)は避難所での活動をしてきて様子はどうだった?
鈴木 僕は避難所にいる人をヒアリングしていたけど、なかなか本音は話してくれなかったよ。インタビューに慣れてしまっているようだったり、なんか我慢している印象だったかな。生き残ったことに対する罪悪感みたいなものがあって、私のことはいいから他の人を診てあげてって明らかにその人が具合悪そうなのに言ったりしてた。
三井 そうなんだ。子供たちはどうだった?
鈴木 壁を感じたね。もちろんぼくのコミュニケーション力の問題もあるんだけど、話してるとき人の目を見てくれなかった子が多かったよ。特にそれは中高生に多かったね。小学生はむしろ異常なくらいテンションが高かった。なんだかそれも見ていてどこか神経が落ち着いてないみたいで不安になったね。
三井 そんな状況で犯罪とかは起きなかったの?
鈴木 起きてたね。とくに窃盗は多かった。ある避難所で高校生がレジの金を盗んだ事件があった。もちろん、今はお金があっても買える物自体何もないんだけど、将来のために生きるために盗ったんだ。この行為は悪いということは分かっているんだけど、この高校生になんて言えばいいのか分からなかったね。とてもじゃないけど叱れなかったよ。
赤坂 俺は窃盗の防止のために県の警察に頼んで夕方4時には作業を止めさせて、パトロールしてもらうようにしたよ。あと、俺は避難所のそばで寝泊りしていたんだけど、やっぱり過酷だった。
━被災者の気持ちが起き上がってくるのを待つことが必要
赤坂 ある女性二人が並んで立っていて、一方の女性は生存者リストに娘の名前が載った母親、そしてもう一方はお亡くなりになられたと知った母親だった。なんて声をかけたらいいのか分からなかった。
三井 うん、俺も避難所の方になんて声をかけたらいいのか分からなかった。本当に言葉を選んで話さないといけないし、とてもデリケートにならないといけない。やっぱり部外者はどこまでいっても被災された方の思いを理解できない部外者なのかもしれない。
鈴木 被災された方とお話しして感じたことは、結局何してくれるの?って思われているなという こと。本当に彼らの期待に応えてあげられたかは実感できなかったね。無力感は強く感じた。
赤坂 俺もそれは感じた。無力感。
三井 俺もだね。被害状況が大きすぎて。
鈴木 被害は避難所によってまったく違ってくるよね。だから現状調査をするときも人を選んで聞かないといけない。もちろんトップだけに聞けば全てが分かるわけではないんだけど。
三井 今回俺が気になったのは、被災者は誰?ってこと。管理している立場にいる人たちも被災されているわけで。
鈴木 だから、行政がしっかり機能してないなんて言えないよね。
三井 うん、外部から行政や自治体の組織編制や復興への取り組みなどを指摘することは簡単だけど、彼らももちろんそれは分かっている。でも、今はまだ気持ちがついていかない。だから、効率が悪いように見えるけど彼らが自分たちで起き上がるのを待つことが必要かなと思う。俺が行った陸前高田の市長さんは奥さんが亡くなっている。それでも悲しみを抱えながら必死で働いている。行政が動いてないなんて言えないよね。
(2へつづく)