タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう

なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)

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◆よめ菜

「では戻ろうか」末広がそういって軽トラの方に歩いて行った。軽トラの後ろにはカラマツが一尋(人が腕を開いている幅)位の間隔で整列している。冬の始まりにはクリスマスのモールから落ちる、金色の針のような葉を森中に撒いていたが、木々は今、その財産を全て使い果たして裸のままで突っ立っている。

アウシュビッツで裸にされてガス室に連行されるユダヤ人の列の様にも見えた。そんな梢でシジュウカラが高音を張り出した。ビーチュ、ビーチュ、ビーチュ、バースデーが空を見上げた。バース、バースと呼んでいるように聞こえる。啓介はバースデーを手元に呼ぶと抱き上げた。

心臓の早い鼓動が手に伝わった。荷台に載せて自分も上がると末広が助手席のドアを開けて窮屈そうに軽トラに乗り込んでいた。皆が乗るのを確かめると敏夫が運転席に乗ってキーを回した。セルモーターが乾いた音を立てて、エンジンがかかった。シフトレバーをローに入れて車を発進させようとした。しかし軽トラは車を空回りさてて横にずれただけだった。敏夫がさらにアクセルを踏み込むが、車は発進しない。辺りは黒い煙に覆われて後輪はさらに深みにはまっていった。「トラクター借りてこんけりゃだめずら」敏夫が大笑いしながら言うのが啓介に聞こえた。

「二人で押しましょう。バースも降りろ」啓介が末広に大声で言った。末広が車を降りた。末広が降りると車は左側を少し浮かせたように見えた。そして啓介とバースデーが降りると荷台少し浮いたように見えた。荷台の後ろを押すと泥に跳ねられるので、啓介が荷台の左側、末広が右側に位置した。バースデーだけが車の後ろにいた。

「せーの」啓介が掛け声をかけようと息を吸った瞬間に、車は二人の手を逃れるように前に這いだした。敏夫が窓から顔を出して「すいません。四駆にするの忘れてました」と言って大笑した。もちろん四駆にしたから脱出できたのだが、二人と一匹が降りたから車の荷重が減ったのが大きかったのだ。跳ねた泥を浴びてしまったバースデーを抱いて再び荷台に載せようとしていた啓介に末広が言った。「馬鹿の集まりだぜ俺たちは」

運転席の屋根に手をかけて荷台に立ちながら啓介は白い八ヶ岳の山々を見上げた。あれこれ考えて先を読むほど俺たちの頭はよくない。なるようになるものだ。あるいはなるようになっているのを人は気づいていないのかもしれない。

車が止まった。敏夫が車から降りて、残雪から葉をのぞかせている若葉を何枚ももいでいる敏夫が啓介を見上げて言った。
「ヨメナだ。飯に混ぜて喰おう」

文・吉田愛一郎:私は69歳の現役の学生です。この小説は私が人生をやり直すとすればこうしただろうと言う生き方を書いたものです。半世紀若い読者の皆様がこんな生き方に興味を持たれるのであれば、オルタナSの編集スタッフにご連絡ください 皆様のご相談相手になれれば幸せです。

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