タイトル:電園復耕~大通りからそれて楽しく我が道を歩こう
なぜ人を押しのけて狭き門に殺到するのか?自分を愛し迎えてくれる人たちとの人生になぜ背いて生きるのか?
この書き下ろしは、リクルートスーツの諸君に自分の人生を自分で歩み出してもらうために書いた若者のためのお伽話である。(作・吉田愛一郎)
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◆吉田アンドサンズカンパニーリミテッド
トニーの経歴はクロコ社の関心を引いた。それに息子のダンが送ってくる色々な写真やビデオ。ジャイアンツのダグアウトに置かれたクロコダいるドリンクのグリーンのタンクが映し出されているテレビの画面などでクロコ社は3年間の販売代理店契約に合意した。
ダンはロイヤルコーラを退職して、クロコダイルドリンクジャパンの瀉法になった。先のロイヤルコーラの失敗を物流の失敗と分析し、ビン詰めしたものを運搬する事をきっぱりと止めて、流通も飲み物だからと言って、酒屋や食料品店に期待をしなかった。ダンは日本にいた頃に知った、あの駄菓子屋で売られていた北村の「ジュースの素」をイメージしてクロコダイルドリンクを粉のまま小袋にいれて販売することを思いついた。「コカやペプシの様な専用運搬車が重いボトルを運搬する方法では俺たちは参ってしまう。小さく軽い物、それは水無の粉なんだ」
元よりビジネスに疎いダンがそれに反論するはずはなく、ダンはベースボール、フットボール、バスケットボールのチームにクロコドリンクと飲料タンクを置いて回ると同時に運動具問屋を廻った。タダでくれるスポーツドリンクをチームが断るわけはなく、訪ねてくる元プロ野球選手ダン吉田を玄関払いする問屋もどこにもなかった。缶ビール程の大きさのプラスチックの緑の筒の先に油差しの様なノズルのついた、スクイズボトルと呼ばれた水筒が子供たちに人気で男の子たちは競ってそれに粉を入れて水道水を注いでドリンクを作った。フットボール選手がフェイスガードが付いたヘルメットを被ったままで飲めるようにデザインされたものだったのだが、男の子たちはどこへ行ってもそれを持ち歩いた。
アメリカからは素になるプレミックスと呼ばれた粉が運び込まれた。
それにブドウ糖やクエン酸やライムのフレーバーなどで10倍の量にして袋に詰めるのだが、決して自社では工場を持たず、東京都下の稲城市の食品加工工場にミックスと充填を依頼した。それもトニーの考え方だった。そして一年目は約3億円売れた。
二年目が6億円で契約の最終年には10億円売れる勢いだった。しかし3年目の契約終了が近づく頃、突然食品卸会社からブドウ糖の販売を中止すると通告された。他の問屋に当たっても同じ答えが返ってきた。どうやら大手飲料メーカーが手を回して、クロコダイルジャパンに原料を売らせないようにしている事が分かった。
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