バングラデシュでロヒンギャ難民支援を行う三輪開人さん(特定非営利活動法人e-Education代表理事)に寄稿してもらいました。活動を始めたきっかけや取り組み内容について書いてもらいました。
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みなさん、こんにちは。三輪開人と申します。
私は学生時代に友人とe-Educationという立ち上げ、7年前からバングラデシュの貧しい若者に対して教育支援をしております。誰もが誇りを持っていきられるよう、生まれた環境に関わらず、最高の教育を受けられるよう、現地の仲間たちと日々奔走しています。
そして今、私はバングラデシュを拠点に活動しています。キッカケは昨年のテロ事件。あの時、事件の現場からすぐ近くのホテルに泊まっていた私は3日間外に出ることができませんでした。
今日の食べ物も明日の命も不確かな中で、私を救ってくれたのは7年間一緒に走り続けて来た現地の仲間たちでした。土砂降りの雨の中を、みんな食べ物や飲み物を私の元へ運んでくれ、「何があっても俺が守る」と力強く励ましてくれました。
テロ事件を通じて、私はバングラデシュの怖さを知りましたが、同時にバングラデシュのことを心から好きになりました。
もっとバングラデシュの魅力をたくさんの人に知ってもらいたい。この国の人たちの明るさや温かさを知って欲しい。そう思った私は、こんな今だからこそ、バングラデシュを拠点にしようと決めました。
ところが、現在バングラデシュはまた大きな怒りや悲しみに包まれつつあります。それが「ロヒンギャ難民問題」です。
彼女はコデジャ・ベガマさん(52)。ミャンマーのラカイン州で生まれ育ち、20人を超える家族と共に幸せな人生を送ってきました。
ところがある日、突然家が燃やされ、親戚が目の前で射殺され、死に物狂いで10日間山道や川の中を歩き続けてバングラデシュへ逃れてきました。一緒に逃れることができた家族は8人で、残りの家族の行方は分かりません。
「何もかもを失いました。悪夢です」
泣きながら話すベガマさん。離れてしまった家族のことを想うと、夜もなかなか眠れず、「大丈夫、きっとまた会えるよ」と泣きながら励ます家族の人たち。
これが「ロヒンギャ難民問題」と呼ばれる問題の一部であり、8月末から毎日のようにバングラデシュでは悲しいニュースがテレビや新聞を埋め尽くしています。
Facebookのタイムラインにも毎日のように怒りや悲しみの投稿が溢れ、ミャンマー大使館の近くでデモを起こしている若者をニュースで見ると、涙が止まりませんでした。
そんな涙を止めてくれたのは、今度もバングラデシュの仲間たちです。
「誰の責任とか、誰が悪いとか、そんなことはどうでもいい。今、困っている人たちのために、僕たちができることをやろう」
あの時と同じように、悲しみや怒りに流されず、今目の前にある問題を一生懸命解決しようとする仲間たちに、私は目を覚ましてもらいました。
そんな仲間たちが今この瞬間も、避難地で食糧支援の活動を続けています。満足な支援を受けられず、ギリギリの状態で生活している人たちが、家族みんなで今日を乗り越えらえるよう地道な努力を続けています。
今、「テロリスト予備軍」と世界中から非難されたバングラデシュの若者たちが、世界で最も難しい問題と言われる難民支援に挑んでいます。それを他人事で絶対終わらせたくありません。
明日を迎えることができないかもしれない人たちを助けるために、彼らを助けようと奮闘している若い挑戦者たちのために、ぜひ皆さんの力を貸してください。どうかよろしくお願いいたします。
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