ソーシャルメディアやネットメディアが普及し、爆発的に情報量が増えた中で、情報の真偽を見極めていくのは以前よりも難しい世の中になってきている。その中で私たちはどんな基準で情報を取捨選択していけば良いのだろうか。ITジャーナリストの佐々木俊尚さんは「自分を磨くことが信憑性のある情報を得ることにつながる」と話す。(聞き手・オルタナS特派員=南貴大、オルタナS編集部員=佐藤慶一 写真・オルタナS副編集長=池田真隆)


情報化社会を分析する佐々木俊尚さん


ソーシャルメディアの普及と可能性

――テレビや雑誌などの産業メディアが衰退し、ソーシャルメディアやネットメディアが勃興しています。その中で、産業メディアが果たすべく役割とは何だと思われますか。

佐々木:マスメディアが担っている役割はアジェンダ(議題)設定能力で、その設定された議題について世論を形成することである。現場取材と言われる目の前の事件、事故についていち早く情報を伝えなければならないことに関してなら、今やネットメディアだけでも十分なのだ。

例えばTPPに関する議論でものすごく濃密な議論がネットで行われているが、テレビや新聞からしか情報を受け取らない人は、その事を知らない。何故なら、ネットで行われている議論はマスメディアに紹介されないと、世論を形成するアジェンダまでにはならないためだ。

だからこそ、今後の産業メディアに期待されるものは、ネットで盛んに行われている議論を取り上げて、世論とすることではないだろか。



――ネットの影響力と共にソーシャルメディアの勢いも止まりません。なぜ、ソーシャルメディアは普及したのでしょうか。またソーシャルメディアの可能性をどのように感じますか。

佐々木:ソーシャルメディアの良いところは、同じような趣味や仕事とか、あるいは同じような物理空間を共有しているような人たちとつながるための支援装置であるところだ。

ソーシャルメディアが普及した背景を考えてみると日本社会の歴史が大きく関係している。日本社会はここ数百年の間、村社会のようなコミュニティに帰属してきた。

太平洋戦争が終わると農地が解放されて都会に人が流れこみ、それによって農村が崩壊してしまった。その結果、今までの村社会コミュニティがなくなってしまった。

つまり帰属するコミュニティがなくなったのだ。そのときに、村の人々を救ったのは企業社会であった。つまり企業に就職することによって、かつて村の中で抱いていたのと同様な安心感が生まれたのだ。

しかし現代に近づくにつれて不景気のため企業社会というものの存続が危うくなってきた。企業に所属して安心感を得るという仕組みそのものがなくなってきているのである。

そういう時に村や企業が担っていた「中間共同体的」な役割をソーシャルメディアが担う可能性があるのではないかと感じている。なぜなら、ソーシャルメディアは「共同体意識」を持った仲間同士をつなげる役割を果たすからである。



信憑性のある情報を得るには、自分を磨くしかない

――多くの情報が流通する社会で、情報の真偽を見極め、取捨選択していく上での基準をどのようにお考えになりますか。

佐々木:ソーシャルメディアが発達した現代では、情報の信憑性を見極めるのは、すごく難しいものである。

情報の信憑性というものはどこから発信されたのかで見極めることができる。最終的には、その情報の信憑性は、発信した個人の信頼度につながっていくということだ。なので、信憑性のある情報を得るためには、信用できる人とつながっているかどうかが重要になってくる。

情報の渦の中心が徐々にツイッターやフェイスブックなどを中心に、マスメディアからシフトしている現状を考えると、個人がいくら勉強しても、信頼できる人とつながっていなければ、信憑性のある情報を得ることが困難になるのではないだろうか。

ツイッターならフォローするだけであるが、フェイスブックはその本人に承認されないといけない。だから、自分がどんなに努力しても信頼がないと誰も承認してくれない。つまり、良い情報を得るためには、自分を磨いていくしかないのである。


佐々木俊尚:1961年、兵庫県生まれ。88年に毎日新聞社に入社。99年アスキーに移籍し、2003年にフリーに。現在はネットとリアル社会の境界部分ではどんな衝突が起こり、どのようにリアルはネットに呑み込まれ、そしてどのように融合していくのか。その衝突と融合のリアルな局面を描いていくこと。そしてその先に待ち受ける未来ビジョンを、できうるかぎり事実に基づいて描写していくことをテーマに活躍している。公式サイト/twitter/