社会貢献意識を持った若者が増加している。東日本大震災以降、その傾向は顕著に表れている。『絶望の国の幸福な若者たち』の著者で社会学者である古市憲寿氏(27)は、その要因としてリアリティが欠けて、自分探しをしていることと見る。社会貢献を通じた自分探しをする若者たちを古市氏はどう分析しているのか伺った。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆、オルタナS特派員=河合和香)

古市憲寿さん


■日本では生きている実感を感じられず、海外でリアリティを感じる

——社会貢献活動が若者たちの間で広まっています。なぜ、ここまで社会貢献意識を持った若者が増えているのでしょうか。

古市:まず、マクロに考えると、ある程度は自分の周辺のことに不便しないくらい日本が豊かな国になったことがあると思います。基本的に自分のことで精一杯だったら、社会貢献なんてしようとは思えません。

社会が豊かになりすぎたが故に、生きている実感を持ちにくくなったことも要因にあると思います。リアリティの欠如と言ってもいいかもしれません。社会学者の見田宗介さんは、その「リアリティ」を求めて若者たちがカンボジアなどへ海外ボランティアに出かけるということを言っています。

——リアリティが欠如していることを証明するデータなどはあるのでしょうか。

古市:リアリティに関しては、個人の感情なので統計的に言うことは難しいですが、一つの代理指標として若者の「海外志向」があります。世間的には現代の若者を内向き思考と揶揄していますが、80年代と比較すると留学生の数は3倍ほどに増えています。また、海外ボランティアを斡旋する企業や、国際貢献系の学生団体などが人気です。それらは、社会貢献を通じた自分探しと言ってもいいかもしれません。

——ソーシャルメディアが発達したことによってリアリティが欠けているとは言えますか。

古市:いえ、言えないと思います。まず、僕は1970年代からこの国の姿は大きく変わっていないと考えています。産業化・近代化が進み経済成長が一定程度達成された社会では基本的に同じようなことが起こるんです。

よくソーシャルメディアの価値は拡大解釈されるのですが、僕はそれらの言説に懐疑的です。例えば、アラブの春などはソーシャルメディアが原因で起きたといわれていますが、それだけが理由とは言い切れないですよね。わかりやすい独裁者、極端な格差や貧困、暴動後に軍がどちらの味方になったのか、国際的な圧力など、要因は無数にあります。

そういえば、ベルリンの壁が崩壊したときにはソーシャルメディアはありませんでしたよね。あの頃は衛星放送を通じて情報が伝わって社会全体が動いたといわれました。

——やはり、アラブの春が起きたのもソーシャルメディアの力以前に人びとの問題意識が高まっていた状況があったからですね。

古市:例えば、インターネットが個人を解放したなんてよく言われていますが、もしインターネット(WWW)が普及したのが1970年代だったら、今とはまったく違う使われ方をしていたと思います。

たまたま、インターネットが登場した時期と日本の企業社会がバブル崩壊で壊れはじめた時期が重なったので、インターネットが個人を活性化するメディアと言われているのではないでしょうか。

多分、普及したのが70年代だったら企業別SNSのようなものが流行っていたと思います。

■CSRを合理的に考える人が増えれば社会は変わっていく



——社会貢献意識の高い若者が増えていき、今後社会に進出していきます。そうなると社会はどうなっていくと予想しますか。

古市:新入社員を対象にした意識調査を見ても、仕事を通じて社会に貢献したいと考えている人は増えています。社会を変えるという意識はデフォルトのようになっているのではないでしょうか。

ただ、企業の最大の目的は利潤の追求です。だから、社会に良いことをしたいけど、利益を出さなくてはいけないという中で、葛藤を感じる人も多いと思います。

そのような状況で必要なのは、CSRをいかに合理的に捉えられるかということですよね。社会貢献と企業の営利活動は必ずしも相反するものではない。社会にいいこともしながら、いかに儲けることができるか。そんな仕組みを考えることが大切だと思います。

ブランディングなり、CSRをきちんと企業活動の一部として行っている欧米の企業に比べて、CSRに関する態度が曖昧な日本企業が多いような気がします。

——社会貢献意識を持っている若者は確かに増えていますが、一方では「投票には行かない」「大学の授業をさぼる」などの行動が目立ちます。当事者意識の低下が若者には見られるのですが、どう思われますか。

古市:社会貢献意識と「大学の授業をさぼる」の関係はよくわかりませんが、投票率の低さと社会貢献意識の高さは確かに、一見矛盾しますよね。

大前提として、何が大切な社会問題かは、その人によってまるで違うということがあります。それが、ある人は政治かも知れないし、ある人はマイノリティについての問題化も知れないし、コンゴの紛争問題かも知れない。

自分が関わっている活動や領域に人が関わってくれないからといって、それを「当事者意識の低下」なんて言っているようでは、その活動に未来はありません。というか、そのような態度が最も自己中心的で偏狭な価値観だと思います。

人を動員するのは、マネジメントの問題です。社会貢献意識の高い人をどう集めることができるのか。投票率を上げたいなら、若者が当事者意識を持っていないと嘆くのではなくて、当事者意識を持たせる仕組みをいかに作れるかという問題設定をするべきです。

■世代論が盛り上がる背景には、世代以外は重要ではないと感じているから



——関心のあることにしか興味を示さない傾向にあり、自分以外を考えられない若者が増えているのではないかと危惧されてもいますが、古市さんはどう思われますか。

古市:それは中高年も同じだと思います。世代間格差を無視して自分の年金のことしか気にしない高齢者。会社内の出世にしか興味がない会社員。そもそも人って、自分のことにしか興味がない人ばかりなんじゃないですか。

それでいいと思います。「社会に関心があります」とか「他者に対する想像力が大事」とか言うくせに、自分が関わっている活動に人が集まらないと、他者をバッシングするような人よりも、よっぽどいい。

——世代間の対話がないと昔からよく言われていますが、なぜ日本ではこれほどまでに世代間の対立の話題が叫ばれるのでしょうか。

古市: 実は、世代論や若者論がこれだけ流行る国は日本くらいです。他の国では、もっと重視すべきファクターがあります。アメリカだったら人種問題、イギリスだったら階級問題のように、世代間の差よりも深刻な問題があります。

日本でこれだけ若者論や世代論が盛り上がるということは、世代以外のことはあまり重要だとは思っていないからですよね。一億総中流という言葉がありますが、多くの日本人は年齢以外に他の人とは大きな違いがないと信じているのではないしょうか。

——これからの社会で古市さんが考える幸せの定義とはどのようなものになっていくとお考えですか。

古市:一律に幸せというものを定義できないのが一定の経済成長を終えた社会の特徴です。ある程度のモノが普及した社会で、幸せは個人化せざるを得ません。だから社会としてできることは、できるだけ幸せの可能性を担保することです。更に、それを選ぶ際に、欲望を引っ込めないで、ちゃんと納得したものを選べる状態が保証されていることが重要なのではないでしょうか。

——ちなみに、古市さんはどういう時に幸せを感じるのでしょうか。

古市:別にいつでも割と幸せなんですけど、チョコを食べているときとかでしょうか。チョコは主食です。おそらくお米よりもチョコを食べていると思います。

——意外ですね。チョコはいつからお好きになられたのですか。

古市:この5年くらいです。5年前にノルウェーに留学していたのですが、本当に食事がおいしくない国で、唯一食べられたのがチョコと豚肉でした。それ以来、主にチョコだけで生きていますね。


古市憲寿
1985年生まれ。社会学者。東京大学大学院博士課程に在籍中。
慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。
著書に『絶望の国の幸福な若者たち』、『希望難民ご一行様』など。
twitter:poe1985