東京・池袋で2003年から路上生活状態にある人たちに炊き出しや医療相談、鍼灸などを行い、自立に向けた伴走支援を行ってきたNPOがあります。活動を始めてから20年。時代や街の変化を感じながら、「相手の生きてきた歴史を敬い、意思を尊重する」支援を貫いてきました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

「つながる」ことを大切に

東池袋中央公園での月2回の炊き出しの様子。「18時から食料を配っています。今年度は毎回平均約550食を配っており、1回の炊き出しにあたり、炊き出しスタッフは当日15時30分から、食料を運搬するスタッフは朝から動いています」

NPO法人「TENOHASI(てのはし)」は、東京都豊島区を中心に、路上生活状態にある人や生活困窮者の自立を支援しています。

「具体的な活動内容として、月2回の東池袋中央公園での炊き出し、といってもコロナ以降は包装された弁当の配布と生活相談、毎週水曜の池袋駅前公園でのおにぎり配りと夜廻り、そこでの生活相談があります」と話すのは、スタッフの大野力(おおの・ちから)さん(36)。

お話をお伺いした清野さん(写真左)と大野さん(写真右)

事情があって炊き出しやおにぎり配りの場所まで来られない人のために、池袋駅周辺の路上で寝ている人に、声をかけて接触しながらの食料配布も行っています。

「ただ食料を配るだけでなく、対話が大事」と話すのは、代表の清野賢司(せいの・けんじ)さん(61)。

「最初から信じてもらうことは難しく、食料を受け取らない方も少なくありません。それでも諦めず、何度も顔をあわせて、やっと信頼してもらえる。つい先日も、池袋駅で1年間野宿していた方が、最初は拒否されていたのですが、初めて相談をしてくれました。ここから伴走支援がスタートします」

最初は拒否されても、
徐々に関係性を築いていく

ある日の炊き出しにて、配布した食料

「おにぎりや弁当をお渡ししようとすると、『構わないでくれ』と拒否されるような場面が、実は結構あります」と大野さん。

「しつこいアプローチは、良い関係性ではないと思っていますので、その時はわかりましたと引き下がりますが、その一瞬に何か一言、声をかけて顔を覚えてもらうとか、相手に心を開いてもらうような、地道な声がけを継続していくことが大事。最初は拒否しても、繰り返すうちに受け取ってくださることがあります」

「知らない人から食料を手渡されても、最初は毒でも入ってるんじゃないかと疑うでしょう」と清野さん。

「でも、次第に顔見知りになってくると『パンだけなら』『おにぎりだけなら』と受け取ってくださることがある。その時に一緒に団体のチラシを受け取ってくれて、『実はしんどい』と相談してくださることもあるし、食料は受け取っても、そこから先は断固拒否もあるし、食料すら拒否されることもあります」

「拒否を続けているうちに持病が悪くなり、一緒に救急車に乗った時にはもう手遅れ…ということもあります。でも、そこには一人ひとりのタイミングや思い、これまでのご経験があります。ここは我々として、いかんともしがたい部分です」

出会いは、「相手を思うこと」から始まる

炊き出し会場に設けた生活相談ブースの様子。「基本的に、1対1でプライバシーを確保しながら相談を受けています。時には21時頃まで相談が続く事もあります」

「(食料を)受け取らないというのには、いくつかパターンがある」と二人。

「単純に食欲がないといった理由もあるし、あるいは毒は入っていないにしても、『弁当をくれてやる』みたいな態度の人からもらいたくないとか、確かに家はないけれど、日雇いでちゃんと稼いでいるから人の施しは受けたくないなど、本人なりのさまざまな理由があります」

「『せっかくあげると言っているのに』というのは、あげる側の高慢で、上から目線になるのかなと思います。そうではなく、『この人はなぜ受け取らないのかな』というところに想像力を働かせ、『何かしらあるんだな』と相手のことを思うこと。出会いは、そこから始まるのではないでしょうか」と清野さん。

「おにぎり配りは21時30分と遅い開始時間であるにも関わらず、毎週6〜
90人前後の方が並んでらっしゃいます」

「食べるものに困り、どう考えたって受け取った方がいいとこちらは思うのに、それでも拒否する理由は、たとえば単純にそのもの自体が好みではなかったのか、施しを受けたくないのか、何かしらの理由がある。そこで生き抜いている、その方の思いや生き方を考えると、とても興味深いと私は思います」

「食料配布の際に、私の電話番号を書いたチラシも一緒にお渡ししています。電話をかけてくる方もそこそこいますが、そこから心を開いて支援につながった方、つながらなかった方、それも千差万別です」

「一人ひとりが抱えている問題は、そう簡単には解決しません。ちゃんと向き合って解決しようと思うと、時間がかかります。その時に支援をする立場として、『何かしらあるんだな』と思いを馳せながら本人の意思を尊重することは、とても大切なことだと思っています」

自立に向けて、安心できる個室を用意

個室型シェルター。「シェルターと呼ばれる部屋は、一般的なアパートそのものです。こういったプライベートが守られた部屋で療養され、環境を整えながら次の一歩へ向かう準備をされます」

TENOHASIは、路上生活者の自立へのステップとして、4ヶ月を目安に滞在できるワンルームの個室型シェルターも24室用意しています。

「住まいをなくして困っている人が、どのような支援があれば次のステップに元気に進めるのか。本人のプライベートが守られる部屋があれば、とてもうまくいくということがわかりました。もちろん、うまくいかないケースもありますが…」

「こればかりは、やってみないことにはわかりません。入りたいと来られる方もいるし、話を聞いて、こちらからどうですかとご案内することもあります。このところ大人気で、常に5〜10人に待っていただいている状態です」

「個室では誰にも邪魔されずに、落ち着いて自立への準備ができます。『初めて安心して眠れた』という声も聞きます。中には、それまでずっと住み込みで働いていたり、集団で寝泊まりする宿泊所に住んでいたりして、電気代やガス代の支払い方がわからないという方もいます。定期的な訪問と相談活動で見守りながら、一人暮らしに向けた支援をします」

生活相談、医療相談、鍼灸、炊き出し…
それぞれのチームがタッグを組んで活動

TENOHASIとして活動するチームの皆さんと。「それぞれのチームが集まり、暗くならないうちに撮った一枚です」

TENOHASIが誕生したのは2003年12月。当時、池袋でそれぞれ別で活動していた炊き出し・夜廻り・医療者の3つの団体が一つのなるかたちで活動をスタートしました。

現在もTENOHASIの中に生活相談班、医療相談班、鍼灸班、配給班(夜廻ボランティア、炊き出しボランティア)があり、鍼灸班と配給班は半独立のかたちで、それぞれが必要だと感じること話し合い、創意工夫しながら活動に取り組んでいるといいます。

炊き出しと合わせて開催している医療相談には、毎回8〜90人の相談があり、最近は「死にたい」「つらい」といった心の相談もあるといいます。

「班同士で連携し、課題を共有しながら取り組んでいます。ここに来たらお腹が満たされて、必要なものが得られる。さらには見知った顔があって、話もできて元気になれる。そしてもし可能だったらその先にもつながっていくような、そんな場所になれたら」

路上生活者の数は減っているが、
住まいを持たず、孤立している人がいる

2021年まであったテント村の様子

路上生活者の数は、この20年で8割ほど減りました。

「私が活動に携わり始めた2004年は、首都高の高架下だけで100人くらいの方が住んでいました。テント村もすべてなくなり、今、池袋駅周辺で野宿している方は30人前後です」と清野さん。

「池袋は戦後、闇市があった街ですが、公園や公共施設のリニューアルで路上生活者の排除が進み、雑多で込み入った雰囲気がこじんまりと管理され、明るい砂漠のような街になりました」

「きれいになってよかったと思われる方もいると思いますが、公共の場所は夜、どこも閉鎖され、最後のセーフティーネットだった路上までもが失われている今、特に若い方の孤立が目立ってきていると感じます。スマホが命綱で、毎日スマホで日雇いの仕事を探し、孤立と不安におののきながら生きている方が、少なくないのではないでしょうか」

さらにコロナ以降、公園での炊き出しに、スーツ姿で並ぶ人の姿が目立つようになったといいます。

「目に見えてわかる路上生活者の数自体は減っていても、ネットカフェで過ごしたり、知り合いの家転々としたり、住まいを持たない『路上生活状態』にある方の数は、減っていないと感じています」と大野さん。団体としては条件を設けることをせず、並んだ人であれば誰にでも、食料を渡しているといいます。

「というのは、スーツ姿で明らかに路上生活者ではなかったとしても、池袋という大きな駅の前、誰が見ているかもわからない中で炊き出しに並ぶというのは、それはやはり、困っているからに他ならないと思うからです」

「『こういう条件の人しかダメ』と制限すると、本当に支援を必要としている方を排除するリスクにもつながりかねません。私たちは数がある限りは、欲しいと思う方に渡すことを続けたいと思っています。そこからどんな発展があるか、わかりませんから」

「横並びの一人の人間として、
敬意を持って関わる」

夜回りで配るパンを手作り。「写真に写っている全員が、ホームレス生活経験者です。以前はパンをもらう立場でしたが、TENOHASIとつながってホームレス状態から脱し、今度は作って配る側に。そんな循環がどんどんできることが、私たちの希望です」

歴史の教師として学校に勤めながら、2004年から20年近く活動に携わってきた清野さん。2017年には57歳で教員を早期退職し、TENOHASIの専従となりました。清野さんにとって、活動の何がそんなに魅力的だったのでしょうか。

「『その方の人生に深く関わることができること』でしょうか。昭和の生き証人のようなおじさんたちからいろんな話を聞いて、他愛のないおしゃべりをしたりくだらないことを言い合ったりするのも好きだし、自分が教員社会ではメインストリームにはいなくて外れ者だったので、おじさんたちとは安心して、楽しくおしゃべりができたところがありました」

「教員をしていた時、学校にはルールがあって、クラスで暴れる子やいじめる子は無条件に制圧しなければいけない、みたいな雰囲気がありました。鬼教師みたいな先生がいたら、クラスは落ちつくかもしれません。でも、権力者でいなければならない自分が、とても嫌でもあったんです」

コロナ前の炊き出しの様子。「コロナ前は、肉や野菜を別の作業場で切り、大鍋に入れて煮込んだ物を公園に持って行って皆さんに配っていました。大鍋いっぱい、無くなるまでおかわりをしながら、スタッフ皆も一緒に食べていたことが印象に残っています」

「権力者でも偉い人でもなく、横並びの一人の人として、ただの飲ん兵衛のおじさん同士、ちょっとお手伝いしますよという関係性が、私にはとてもしっくり来たし、気分が上がりました」

「その方に興味を持って、尊敬しながら接するということは、いつも心がけていること」と清野さん。

「我々がやっていることというのは、その方の唯一無二の尊厳を守る、または回復すること。中には、アルコールやギャンブルに溺れる、病気を放置して悪化するといった、よくない意思決定もたくさんあります。それでも厳しい社会の中を生き抜いてこられた軌跡に敬意と誠意を持って、ご本人の選択と意思を尊重しながら、生きるお手伝いがしたいと思っています」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、8/14〜8/20の1週間限定でTENOHASIとコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円がTENOHASIへとチャリティーされ、炊き出しにかかる食費として、また個室型シェルターの家具や生活備品の購入、入退去時にかかる資金として活用されます。

1週間限定販売のコラボデザインアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインに描かれているのは、森のキノコや草花や石と、その周りで思い思いに過ごす小さな生き物たちの姿。

生き方に正解はなく、時には雨に当たったり、風を感じたりしながら、みずみずしいその人だけの生を生きる様子を表現しました。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!
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・路上生活者や生活困窮者、一人ひとりが置かれた状況に思いを馳せ、尊重しながら生活に伴走する〜NPO法人TENOHASI

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は8,000万円を突破しました。

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