日本で暮らす私たちにとっては、当たり前のように身近にある医療。しかし途上国には、まだまだ適切な医療を受けられない人たちがいます。外務省の医務官として訪れたスーダンで、「自分が医療をやろう」と決意し、退職してNPOを立ち上げた一人の日本人医師がいます。(JAMMIN=山本めぐみ)

「医」を届けるために活動

スーダンでの巡回診療の様子。必要な医療資材を積み込んだ車で、村々に泊まり込みながら1か月かけて村落部を回る

認定NPO法人「ロシナンテス」は、医師の川原尚行(かわはら・なおゆき)さん(58)が2006年に設立したNPOです。これまで主にアフリカのスーダン、ザンビアで活動し、医療が身近ではない村の人たちへの巡回診療のほか、診療所の建設、村の人たちが衛生的な水を使えるよう、給水所の設置や井戸の改修などを行ってきました。

「村落部では特に、『病気を治療する』以前に、なぜ病気になるのかという部分で、手洗いの徹底ができていなかったり、不衛生な水の問題や栄養不良があったりして、課題の中で医療だけを切り離すことは難しい」と川原さん。

「私たちが広く『医』と呼んでいる中で、地域の課題ごとに何が必要かを考え、私たちがいなくても現地の人たちが継続していくことができる『しくみ』の部分をサポートしています。国としてインフラが整っていない、セーフティーネットが機能していないといった理由で、人々が病気になったり、亡くなったりしてしまう。それを救っていくのが、我々の役割」と話します。

お話をお伺いした川原尚行さん

2019年から活動をスタートしたザンビアでは、主に母子支援に力を入れています。

「ザンビアでは自宅ではなく医療施設での出産が推奨されています。妊婦さんは生まれそうになったら診療所に向かうわけですが、近くに診療所がない村落部の場合、陣痛が始まってから何時間も歩かなければならないことがあります。間に合わずに道中で出産したり、諦めて自宅で出産したりすることがあって、大きなリスクを伴います」

そこで、出産まで待機できる施設「マザーシェルター」の建設や、限られた資源の中で胎児の検診ができるよう、高度なスキルがなくても扱いやすい小型エコーの導入などを行ってきました。

医務官としてスーダンに赴任。
「自分が医療をやる」と決めた

活動を始めて間もない頃。巡回診療で訪れた村にて、村の子どもを診療する川原さん

2006年にロシナンテスを設立した川原さん。スーダンとの出会いは2002年、大使館の医務官としてこの地に赴任したことでした。

「当時スーダンは内戦中で、医療や教育のための国の予算は削られ、すべて戦費に流れているような状況でした。政治的な背景から日本政府はスーダンへの援助を停止しており、そのため私は現地の日本人の健康管理にたずさわるだけで、目の前で困っているスーダンの人や状況を見かけても、何もできない状況でした」

「ある時、町の病院の前を通ると、ベッドが病室に入り切らず、複数の人が外で寝ている姿が見えました。患者さんたちは、外に置かれたベッドの上で、点滴をつながれていました」と振り返る川原さん。

「自分がここで医療をやる」と、医務官を辞めて活動をスタートしたといいます。

医務官時代に出会った、リーシュマニア症に感染した子ども。感染すると皮膚や粘膜、内臓などに影響を及ぼし、最悪の場合は死に至ることもあるが、適切な治療によって完治が可能

「あの時は本当に何も考えていなくて、使命感だけで前に突き進んでいました。名刺もないし、何なら肩書きもありませんから、名刺には自分で白い紙に筆ペンで名前を書いて、それだけだと少し寂しいから、『日本スーダン友好』って書いたりして」

「できることは何でもやりました。それでも何をやるにも壁の連続で、いつもそれをどう乗り越えて前に進むかを考えていました。でも、不思議と徒労感はなかった。がむしゃらでしたけど、あの頃があるから、今の活動があるのかもしれません」

村人たちと、信頼関係を築いて

シェリフ・ハサバッラ村の人たちと。「住み込んで生活をするうちに、すっかり村の一員になりました」

2006年から6年ほど活動したスーダンのシェリフ・ハサバッラ村という村での活動が、特に印象に残っていると川原さん。

「不衛生な水を介した感染症が広がっており、私たちが水の事業を始めるきっかけになった村でもあります。村の古井戸は壊れていて長く使われておらず、私たちスタッフは村に泊まりこみ、古井戸の改修や水質検査、また水の保管方法などの啓発活動を行いました。診療所も開設し、夜中であっても診てほしいという村人が来れば対応しました」

「この村のリーダーだったハサンという男がいます。最初に村に入った時、表面上こそ良くしてくれましたが、立ち去らずにずっと村にいる私たちのことを、いぶかしく感じていたようです。しかし村人たちを夜通し診療する私たちを見て、次第に心を開き、打ち解けていきました」

「普段から村で顔を合わせていると、自然とお互いの考えていることなんかもわかるようになっていくんですね。ハサンとは『村から町へ』を合言葉に、電気を通そう、学校を作ろう、診療場を作ろう…、一緒に行政に陳情に行ったり、さまざまな活動をしました。村の人たちの中に我々が深く入っていくことができた出来事として、印象に残っています」

過去には活動停止命令を受けたことも

川原さんが10年ぶりに訪れたシェリフ・ハサバッラ村。「寄贈した救急車、診療所、井戸…、10年経ち、なんとすべてが、村の人々自身の手で運用されていました」

ハサバッラ村での活動中、活動停止命令を受けたこともあるといいます。

「村の人たちとは深い信頼関係を築いていたのですが、スーダン政府としては、それを見過ごしておけません。誰かわからない日本人が村にやってきて住み込んで、一緒に何かやっている。もしかしたら宗教や政治がらみで、反政府組織になるのではないかと目をつけられ、活動停止命令をくらいました」

「怪しい組織ではないことを伝えるために、スーダン政府の方に日本に来てもらい、私の地元である北九州の支援者の皆さんに会ってもらったり、講演会に同行してもらったりしながら身の潔白を証明し、『宗教でも政治活動でもない、ただ医療を届けたいのだ』ということを伝え続けました」

「活動停止命令が覆ることはありませんでしたが、すぐではなく『1年後』という条件を付けることができました。この間に、村の人々が自分たちの手で診療所や井戸を管理していけるよう、何とか引きつぎや育成を行うことができました。その後、この村には10年間入ることが許されず、昨年やっと、久々に足を踏み入れました」

「協力し合う現地の人たちの姿は、
日本へのメッセージでもある」

衛生的な水の供給のために、井戸を建設(スーダン)。清潔な水が利用できるようになり、笑顔でいっぱいの子どもたち

川原さんが活動の中で「やっていて良かった」と感じるのは、どんな時なのでしょうか。

「一緒に喜んだり悲しんだり、感情を一つにできることでしょうか。現場にいると、それがより感じられる。スーダンでは今年に入って武力衝突があり、国連機関やNGO団体への襲撃や強盗、国内医療機関の破壊や籠城も増えているために私たちも避難を余儀なくされていますが、日本にいる今も『いちはやく現地に行きたい』と思います」

「会いたい人がたくさんいるし、我々がやれることが、まだまだたくさんある。スーダンもザンビアも、地域の方たちは貧しい分、協力し合って生きています。日本では失われてしまった、人々が協力する姿があって、活動を通して常にその姿を届けていくことは、日本へのメッセージでもあります。現地の方たちにリスペクトをもって、今後もしくみとして、医療や水、教育を届けていきたい」

究極の医療とは「戦争をしない、させないこと」

厳しい環境でも、教育を大切にするスーダンの先生たち。「現地の人々の『なんとかしたい』という想いがあって初めて、ロシナンテスの支援が活きてきます」

団体名である「ロシナンテス」の由来は、小説「ドン・キホーテ」に出てくる痩せ馬の「ロシナンテ」。「私たち一人ひとりは、痩せ馬のロシナンテのように無力かもしれない。だけどロシナンテが集まって『ロシナンテス』になれば、きっと何かできるはずだという思いを込めて名付けました」と川原さん。熱い思いの背景には、高校時代に打ち込んだラグビーの経験があるといいます。

「先輩たちがひたすらラグビーに打ち込む姿を見て、かっこいいと思ったし、『自分も、こういう生き方をしよう』と思いました。大学受験を控えながらラグビー漬けだった先輩たちは、ことごとく受験に失敗していくわけですが…、『ストレートに、まっすぐに生きよう』という感覚は、この頃に抱いたものだと思います」

高校時代の川原さん。チームメイトと。「ラグビー一色だった高校時代。ロシナンテスを設立してからも、この仲間たちにたくさん助けられました」

「『俺も、高校はラグビーしかしない!』と決めて、勉強は留年しない程度にほどほどに、高3の冬までみっちりラグビーをやって、最後に負けて引退し、その後初めて将来を考えました」

「当然成績は良くなかったのですが、『制限をかけずに考えよう』と思って。自分が何に打ち込めるのか、何がしたいのかを考えていた時に、幼い頃、祖父と友人の和尚さんが、私に『人のためになる人間になれよ』と言っていたことを、ふと思い出したんです」

「人に役に立つ人間とは、医者かなあと。それで医者になると宣言して、二浪して医学部に入り、医者になりました。

今はもう私は臨床医としては使い物になりませんが、医師として、私は『医療』という概念をまた違うように捉えていて、医療が『人の命を守り、救う仕事』だとしたら、水や教育の問題に取り組むこともまた、そのために避けては通れない、解決すべきことだと感じています」

「そして今、世界でさまざまなことが起き、またスーダンの内戦が激化するのを目の当たりにする中で、究極の医療とは『戦争をしない、させないこと』なのではないのかと感じています」

「平和とは、簡単なものではない」

見渡す限り砂漠の厳しい土地にも、力強く生きる人々がいる

「平和とは、簡単なものではありませんし、タダで転がり込んでくるようなものでもありません」と川原さん。

「今が平和だからといって、5年後も10年後も平和だとは限りません。世界で起きているさまざまなことが、遠い出来事のようで、実は関係しています。ウクライナのこと、スーダンのこともまた、日本と関係しています。平和を維持していくためにも、何がどんなふうにつながっているのか、どんな小さなことでも、ぜひ関心を持ってもらえたらと思います」

医務官を辞め、何もない中から活動をスタートした川原さん。とても楽しそうに話される姿に、生きていく上での信念のようなものを感じました。

「誤解を招く言い方かもしれませんが、私は自分の人生を遊んでいると思っています。遊ぶと言っても、『本格的に、真剣に遊ぶ』んです。誰にもきっと必ず、夢中になれるものがある。自分が夢中になれるものを見つけて、周りにとやかく言われようと、それを突き進んで、自分が楽しいと感じる気持ちを大事にできたらいいのかな。そうやって、大人が子どもたちへ、楽しい姿を見せていけたらいいですよね」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、10/2〜10/8の1週間限定でロシナンテスとコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円がチャリティーされ、ロシナンテスがザンビアに新しく建設予定のマザーシェルターで、ブランケットやバケツなど必要な備品を購入するために活用されます。

1週間限定販売のコラボデザインアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、馬(ロシナンテ)を中心に、光や雫、花を描き、希望や可能性が広がる様子を表現しました。

ただ与えるのではなく、共に学び、分かち合うことを大事にするロシナンテスの活動、そしてまた、そのように触れ合うことで広がっていく命の喜び、大地の豊かさを表したデザインです。

JAMMINの特集ページでは、川原さんへのインタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてみてくださいね。

・「人の命を守り、戦争しない、させない世界をつくる」。医療が受けられない人へ「医」を届け、健やかに生きられる未来を〜NPO法人ロシナンテス

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は480超、チャリティー総額は9,000万円を突破しました。

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