地震や台風、洪水…。自然災害の絶えない日本。奈良を拠点に、全国の被災地で救援活動を行うNPOがあります。十数年に渡るボランティア活動の中で、「被災した方々に心を軽くしてもらうのが、いちばんの目的」と心を込めた支援を大切にしているのには、団体を立ち上げた一人の男性のある思いがありました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

被災者の心を軽くするために活動

2021年3月、令和3年福島県沖地震での活動。民家の瓦を修復。心配そうに活動を見守る高齢者と

災害救援ボランティアのスペシャリストとして、全国で活動するNPO法人「災害救援レスキューアシスト」。

代表の中島武志(なかじま・たけし)さん(46)は、十数年に渡り、被災地を訪れ、さまざまな支援を行ってきました。「要配慮者」と呼ばれる高齢者や子ども、障がいのある人や病気を抱えた人、妊婦さんや外国人など声を上げづらい方たちにも寄り添い、心を込めた支援を大切にしています。

その背景には中島さん自身の2度の自殺未遂、「生かされた命を、人のために使いたい」という思いがあるといいます。

お話をお伺いした中島武志さん

避難所での炊き出しや支援物資の配布、被災した家屋の片付けや修繕の手伝いなどのほか、重機やチェーンソーを使っての専門的な作業も行っていますが、「最終的には、被災した方たちの心を軽くすることが僕らの役割」と中島さん。

現在、団体には100人ほどがボランティアとして登録。本業が建築関係で重機を使い慣れている人や、電気・水道屋さん、大工さんなどもいて、被災地の状況を踏まえて「こういう人が必要です」と発信すると、各地から駆けつけてくれるといいます。

さらには、被災地を訪れるボランティアの受け入れ準備も、団体として大切な活動のひとつ。

「遠方での活動も少なくありません。以前は車中泊というかたちをとることも少なくなかったのですが、特に長期になると、日中ずっと体を動かし、夜は車中泊では体力が持ちません」と中島さん。連携している他団体のボランティアも受け入れています。

行政と協力し、より効率的な支援を行う

2022年7月豪雨の被災地にて。猛暑の中で狭い床下に潜り、水をたっぷり含んだ断熱材を取り除く作業は、熱中症と隣り合わせの危険な作業でもある

被災地での活動を始めた頃は、「困っている方を見つけては、他の人がやらないような支援を、勝手にお手伝いさせてもらっていました」と中島さん。しかし2016年に起きた熊本地震以降、行政との協働を大切にしているといいます。

「防災訓練か何かでご一緒したことがあったご縁で、熊本の議員の方と知り合いでした。震災後、すぐに呼んでいいただいて活動を始めたのですが、行政と連携することで、被災した方により効率的な支援を届けられるというメリットがあるとわかりました」

「たとえば熊本地震の場合、地域の方たちが避難されていた学校が、国の災害救助法で指定されている避難所ではありませんでした。1000人ほどの方が避難しているにもかかわらず、指定避難所であればすぐに届くはずの水や食料をはじめとする支援物資が届いていなかったのです」

2018年、熊本地震の被災地にて。被災者を笑顔にするためのメッセージが描かれたシートを貼る作業

「災害救助法では、指定外だろうが自宅だろうが、被災した方には支援を届ける義務が明記されています。そのことを議員の方にお伝えして、そのまま市長にあげていただき、支援が届くようになりました」

行政との協働でもう一つ大きな点は、「震災直後のインフラ整備」だといいます。

「たとえば道路やゴミ処理場などは行政の管轄ですが、大規模災害の場合、道がなくなってしまうことがあります。本来なら指定の業者が対応しますが、状況によっては業者が現地に入れなかったり、入れたとしてもかなり遅いタイミングになることがあります」

「そうすると、被災した方々への支援にも大きな影響が出てきます。行政の判断で、僕らボランティアが大量に出た災害ごみを撤去し、道を通したりといったことも行います」

「災害ごみについては、住人の皆さんは本当に困られます。ぐちゃぐちゃになった家の中のものを一旦外に出したくても、家の外も災害ごみであふれているので、出すことができない。一刻も早く災害ごみを回収して、住人の方の生活を確保しなければなりません」

「心を少しでも楽に、軽くしてもらうこと。
それがいちばんの目的」

2015年9月、関東・東北豪雨の被災地にて。鬼怒川が決壊した茨木県常総市で、被災者にタコ焼きの炊き出し支援。中島さんのタコ焼きレシピが今ではこの地域の味になっており、現在に至るまで、地域の方たちとの交流が続いているという

一度、被災地に支援に入ると、長期にわたり滞在することもあります。

「被災の状況や他の団体さんの支援の状況によっても異なりますが、短い場合で1ヶ月ぐらいから、最も長かったのは、記録的な暴風となった台風15号による被害を受けた千葉県鴨川市(2019年)で、1年8ヶ月間滞在しました」

「台風によって屋根被害を受けたお宅が多く、近隣の市も回って、瓦が飛んでしまった屋根にブルーシートを張る作業を行いました。ただ、ブルーシートは紫外線で劣化して破けてしまいます。業者は予約がいっぱいで、なかなか順番が回ってこない、あるいは修理を依頼する経済的な余裕がないというご家庭も少なくありません」

2019年、令和元年台風15号の被災地・千葉県にて。急こう配の茅葺(かやぶき)屋根にシートを張る作業。茅葺屋根の住民の多くは高齢者。茅葺屋根の応急処置も多く行った

「僕らがいなくなった後にまた困る方がおられたらどうしようもないので、鴨川市では、地元の有志の方たちに集まっていただき、安全に屋根に登り、ブルーシートを張れる人を育てました。大阪北部地震(2018年)でも、同じように屋根被害が多く、1年2〜3ヶ月の間、ずっと活動させてもらいました」

「ブルーシート張りをさせてもらう際、ご家族の状況や様子を見て、福祉サービスが必要ではないかと感じた場合は、僕らの方から行政につなぐこともあります。ブルーシート張りも、ただ手段の一つ。とにかく、被災した方たちの生活を守って、心を少しでも楽に、少しでも軽くなってもらうことが、僕らの目指すところです」

「せっかく助かった命。人のために生きよう」

2021年7月、熱海市伊豆山土石流災害の被災地にて。活動中のボランティアへ、地元の方からの応援メッセージ。「ボランティアが活動する姿に、被災者も前を向いていこうとする。少しずつ戻る笑顔に、我々も安堵します」

被災した人たちの生活に、徹底して寄り添い続ける中島さん。それはなぜなのでしょうか。

「本音の話をすると、自分自身が弱いからです。僕は2回、自分で命を断とうとしたことがありました。でも今、生きて、3歳になる息子がおるんですが、幸せです。『せっかく助かった命やから、人のために生きよう』というのが本音です」

「なんというのか、うまくはいえんのですが‥、壮大に何かをしようとか思っているわけではなくて。目の前に困った人がいたら、何とかしたいと思う。ただそれだけです」

最初は別の災害支援団体で活動していた中島さん。自らNPOを立ち上げたのは、ある出来事がきっかけでした。

「僕は中卒で、頭がよくありません。災害時は何があるかわかりませんが、勉強していないといろいろなケースに対応ができません。だからいろんな勉強会に参加していました。ある時、障がい者の防災に関する講演会に参加すると、講師の方が言うには『被災障がい者の支援は、そんなに簡単なものじゃない』と」

2023年7月、台風2号で被災した中島さんの地元、奈良県明日香村にて。年齢性別問わず、多くのボランティアが参加した

「被災地で困っている方がたくさんいても、スタッフの安全が確保できないからという理由で、現地に入られないんです。でも、被災した障がい者への支援をうたっているなら、それは違うんじゃないかと」

「『(人命救助のタイムリミットと言われる)72時間以内に行って支援しようと考えるのが普通じゃないですか』と僕は質問したんです。そうしたら『そんなに簡単じゃない』と言われました。『それだったら、自分がやる』と思って、団体を立ち上げました」

「ずっと、『被災地で死んでもいい』という気持ちで活動させてもらっていました。でもコロナのことがあって、僕たちがすぐにかけつけても、感染拡大を避けるために、行政から活動の許可が降りるまでに10日ほどを要したり、すぐに活動するということが難しくなりました」

「そしてまた僕自身も家族ができて、ここで死ねないと。それぞれの現場で安全を確保できるように、他団体さんとも連携をとりながら、それぞれの得意なところを活かして活動をするようになりました」

「どんな人にでも、必ずできることがある」

2023年9月、台風13号の被害を受けた千葉県茂原市での活動。「若い学生ボランティアのローラー作戦のための打合せ中。何も情報を持たない被災者がいないか、不安を抱えていないか…。戸別訪問をする若い力は、大きなパワーを与えてくれます」

「被災地で死んでもいい」と思うほど、中島さんを災害支援に駆り立てたものは何だったのでしょうか。

「中学を卒業後、高校に行かず一人暮らしをして、新聞配達、居酒屋の店員、介護職、大工見習いや塗装業、パチンコ店員、テキ屋…いろんな仕事をやりました。言ってしまえば、ただ生きるために働いて、条件の良いところを見つけては職を転々としていました」

「全部プロフェショナルと呼ぶには程遠く中途半端でしたが、これらの仕事で得た知識や経験が、被災地では十分にいろんな方の役に立ち、それがとても衝撃でした。『自分はこの活動をするために、いろんな仕事をやってきたんや』って思ったんです」

「活動を始めた最初の5年ぐらいは『役に立つ自分が大好き』という、完全な自己満足でしたが、今はプロとして、皆の期待を背負っていると言ったら大袈裟かもしれんけど、僕に期待して支援してくださる方たちがいるので、その期待以上に、被災した方が元気になれる支援を目指しています」

2019年9月、令和元年台風15号の被災地・千葉県鴨川市にて。集まったボランティアたちと円陣を組む

「災害支援というと、何か特別な人がやるものだというふうに捉えられる節もありますが、小さな子どもでも、障がいのある方でも、どんな方にも必ず、被災地でできることがあります。人は誰も、力を持っている。見えない魔法の力を持っているということは、これまでの活動で感じてきたことです」と中島さん。

「各地からボランティアに来られた方が『せっかくボランティアに来たんだから、少しでも多く作業しよう』と、休憩も惜しんで作業に打ち込んでいる時に、僕らのようなおじさんが冷たいおしぼりを配っても、ほとんど手を止めてもらえませんが、小さいお子さんが手渡すと、皆、作業の手をとめてくださるんです」

今後、災害救援に関わる若い世代の育成にも力を入れていきたいと中島さん。

「火事の時には消防士がいるように、災害の時に、専門のスキルと知識を持って動ける『救災士』という民間の資格を作れたらと思っています。僕たちが十何年かけて培ってきた実践的な技術を次世代に伝え、人を育てていきたいです」

団体の活動を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、10/9〜10/15の1週間限定で災害救援レスキューアシストとコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円がチャリティーされ、被災地で技術的な支援をする際の重機や高所作業車などのレンタル費や燃料代、被災した家屋の応急処置のための資機材費として活用されます。

1週間限定販売のコラボデザインアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもバッグやキッズTシャツなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、頭に花かんむりを乗せた子ぐまとうさぎ、それをやさしく見守る親ぐまを描きました。家族ではなくても親戚のように、互いに心を寄せ、支え合って生きる社会への思いと祈りを込めています。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中!こちらもあわせてチェックしてくださいね。

・「被災した人たちの心を軽く」。被災地で活動を続ける災害救援ボランティアのスペシャリスト〜NPO法人災害救援レスキューアシスト

「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は480超、チャリティー総額は9,000万円を突破しました。

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