障がい者の就労支援などのソーシャルビジネスを展開するゼネラルパートナーズ(東京・中央)は、このほど、周囲に配慮を必要としていることを知らせる「ヘルプマーク」の認知度・利用状況に関するアンケート調査を行った。20代から60代の身体・知的・精神障がいのある379人に聞いたところ、約半数がヘルプマークを「知っている」と回答した一方、そのうちの利用率はわずか2割に留まった。ヘルプマーク普及の壁とは何なのか。実際にヘルプマークを利用し、普及活動を行う人へ話を聞いた。(聞き手・オルタナS編集長=池田 真隆)
話を聞いたのは、名古屋市在住の小崎麻莉絵さん。2014年に受けた健康診断をきっかけに骨髄異形成症候群と診断された。これは、正常な血液細胞がつくられなくなり、貧血や、出血が止まりにくい、感染により発熱しやすい、といった症状が現れる病気。診断当時、医師からは「余命5年」と宣告を受けた。
現在は病状も安定しているが、外見からは分からない病気を抱えるため、外出時にヘルプマークは手放さない。多くの人にこのマークを知ってほしいと、名古屋など東海地方を中心に普及活動を行っている。
――病気について診断を受けた当時のことを教えていただけますか。
小崎:実は診断を受けたのは、誕生日の前日でした。入院先の病院で、医師から「余命5年」と宣告され、言いようのない気持ちになったのを覚えています。次の日、何も知らない友人がお見舞いに来てくれ、お誕生日の帽子を被せてくれました。そして、派手な帽子を被りながら病院の廊下を歩いているとき、「悩むのはやめよう」「病状がひどくなるまでは、なるべく笑顔で過ごそう」と思ったんです。
――その後、ご体調はいかがですか。
小崎:以前は通勤中に貧血で倒れてしまうこともありました。いまは病状も安定してきていますが、それでも片道30分の電車を立ったまま移動するのは難しく、途中で具合が悪くなり、しゃがみこんでしまうことがあります。そのため、電車に乗る際は、通勤ラッシュを避けるようにしています。
――ヘルプマークはどのように知ったのですか。
小崎:通勤ラッシュを避けたとしても、優先席以外が空いているケースというのは、あまりありません。そのため、やむなく優先席に座るのですが、そうするとご高齢の方から「若いのに、ようそんなとこに平気で座っとるな」とお叱りを受けることがありました。事情を説明すると理解はしてくれるのですが、その方たちはすごくばつが悪そうになり、お互いにその場に居づらい雰囲気になってしまいます。
「見た目では分かりにくいような病気や障がいについて、周囲に気付いてもらう方法がないか」、そう考えていたときにインターネットで見つけたのがヘルプマークでした。
――2016年からヘルプマークの普及活動をされていますが、始めたきっかけは何だったのでしょうか。
小崎:きっかけはフェイスブックへの投稿でした。ヘルプマークについて調べてみると、規定に沿っていれば自作も可能だと分かり、ヘルプマークを載せたオリジナルのプレートを作って投稿してみたんです。
見た目に分かりづらい病気が原因で、私と同じように悩んだり、つらい想いを経験している人がいるんじゃないか。そんな人たちにヘルプマークを知ってもらうきっかけになればと思い投稿しました。すると、その投稿を見た友人から「これは広めないといけないよ」と背中を押してもらったんです。
――実際にどのような活動をされているのですか。
小崎
:ヘルプマークは東京都が作成したもので、今年7月にJIS化されたものの、導入していない市区町村も全国に数多くあります。また、ゼネラルパートナーズ社の実施した調査にもあったように、認知度はまだまだ低く、地方では知られていないというのが現状です。活動を始めた当時は、名古屋市でもまだ導入されていない状況でした。そのため、私も友人のつながりから、名古屋市の市議会議員の方とお会いし、ヘルプマークや(緊急連絡先や必要な支援などが記載された)ヘルプカードの導入についてご相談をさせていただきました。
その後は、早期導入の実現を目指した署名活動や、普及啓発イベントの開催などを行っています(2017年10月より名古屋市でもヘルプカードの配布が開始されました)。
――ヘルプマークが普及していくためには、何が重要だと思いますか。
小崎:まだまだ導入されていない市区町村も多く、また導入されていても受取場所や受取方法にもばらつきがあるようです。このような状況は、大きな問題だと感じています。
一番の課題は健康な人がこのマークを見たときに気付けないことです。そのため、私たちは家族のような小さなコミュニティーから普及させていくことに取り組んでいます。イベントでは、バルーンアートなどを配りながら子どもたちが自然に関心を持ってくれる状況をつくり、親御さんとご一緒にヘルプマークのご説明をするなど、親子への普及啓発に力を入れています。
――小崎さんがこうした活動を続けていける理由は何でしょうか。
小崎:始めた当初はこんなに活動が広がるとは思っていませんでした。本当に周りの方々が支えてくださったり、背中を押してくれているおかげで続けられているんだろうなと思います。
また、初めて名古屋市でヘルプマークの啓発イベントを開いたとき、たまたま通りかかった人がヘルプマークを付けていました。その人に「いままで東海地方ではこのマークをつけても誰も気付いてくれなかった。こういう活動をしてくれることがすごくうれしい」と言ってもらえたことをよく覚えています。こうした声も、励みにつながっているんだと思います。
――ヘルプマークを知っていても利用しない人がいることについて、どのように思いますか。
小崎:付けたくない人はそれでもいいんだと思います。私の周りにも、ヘルプマークを持ってはいるけれど、付けていない人もいます。そうした方々は、持っていることで気持ち的にも安心できると、お守り代わりにされているようです。そのため、大切なことは、付けるか付けないかではなく、持っているかどうかだと思います。
私自身はヘルプマークを付けてから、電車内などできつい言葉をもらうことがなくなりました。それまでは、きつい言葉をもらうたびに悲しい気持ちになっていました。
私の場合、余命宣告が5年だったので、日数にすると1825日しかありません。そのため、残りの1日をどう過ごすかが、すごく大事なことだと思っていて、穏やかに過ごすのか、それとも悲しい気持ちで過ごすのかは、これからの命の期限を考えると大きなことです。
病気になってから、以前は当たり前と考えていたことが、どれだけありがたいことなのか身を持って噛み締めています。ヘルプマークの普及啓発活動でも、そうした経験をしている私だから発信できることもあるのかなと思います。私自身はもっと長生きするつもりですが、たとえ残された時間が限られていたとしても、なるべく笑顔でいたいです。