「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が叫ばれて久しいが、世の中には障がい者やLGBTQなどの社会的マイノリティに対する差別や偏見はいまだ根強く残っている。2020年の東京オリ・パラに向けて、日本財団は9月から年間を通して、ダイバーシティ&インクルージョンの実現を目指す大型イベントを始める。アンバサダーに就任したのは、「渋谷ダイバーシティエバンジェリスト」という肩書も持つタレント・アーティストのRYUCHELL。「差別や偏見はあることを前提に、自分をどう強く保つかが大事」と自身の経験も踏まえて持論を展開する。(聞き手・オルタナS編集長=池田 真隆)

自身の経験を踏まえて差別・偏見との向き合い方を話したRYUCHELL

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” open=”no” style=”default” icon=”plus” anchor=”” class=””]同キャンペーンの名称は、「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭 – 」。期間は今年9月から来年7月までで、渋谷や池袋など都内を中心に展開する。障がい・性別・世代・国籍を超えたダンスや音楽ライブ、ファッションショーなど多彩な演目を各地で行ったり、ダイバーシティを推進する次世代の人材を育成する座学を開いたりする。

これらのイベントを運営するためのボランティアを同時に募集し、専門的なスキルをこの機会にレクチャーする。チケットやオフィシャルグッズの売上の全額は、多様性をテーマにした芸術事業に生かす予定。

アンバサダーに就任したのは、RYUCHELL に加えて、タレントのIVANとラブリ、そして乙武洋匡氏の4人。23歳で最年少のRYUCHELL は、奔放(ほんぽう)なキャラクターで人気を博すが、自身も幼少期から差別や偏見を受けていたと明かす。

「True Colors Festival -超ダイバーシティ芸術祭 -の会見で

親にも受け入れてもらえず、生まれてきたことを後悔したときもあったと言う。どのようにして、差別や偏見と向き合ってきたのか。話を聞いた。

――日本財団が7月末に行ったインターネット調査では社会的マイノリティに対しての差別や偏見があると感じた人の割合は95.9%でした。マイノリティへの差別・偏見はなぜ起きるとお考えでしょうか。

例えば、ぼくは男の子ですが、昔からかわいいものが大好きでした。性同一性障がいではないのですが、性に関して何かしらのコンプレックスが小さいときからありました。

そのことに対して、「お前はオカマだ」などとバカにされたり、「かわいいものが好きで、メイクもするなら、男が好きなんだろう」という偏見を持たれてきました。

でも、それは、ぼくみたいなタイプと出会ったことがないから決めつけているだけだし、人は無意識に人を何かの枠にはめたがるものだから、それに対して「違うよ」といちいち言っても切りがないと思うようになったのです。

差別や偏見は正直、絶対に消えないと思います。なぜなら、人それぞれ考え方が違うので、ぼくの考えを押し付けたところで、そのこともある意味、その人の考えを否定しているので差別になっているのではないでしょうか。

――いつからそのように考えていましたか。

小学生くらいからですかね。子どものときから、家族さえ受け入れてくれなかったので、このまま社会でもはみだしものとして生きていくんだろうなとうすうす思っていました。その頃は、なんとか自分を変えよう、偽ろうと思ったときもありました。けれど、ふとした瞬間にボロが出てしまいます。

虫が出たら甲高い声で「キャア!」と言ってしまったり(笑)。変えようと努力したけどできなかったので、じゃあこの世の中を受け入れて、どう自分を強く保つか考えるようになりました。

一人ひとりに、「あのね、ぼくはね・・」と説明したところで、「は?何言ってんの?」となるだけだし、一人ひとりに説明するよりも、「うん、そういう意見もあるよね。だけど、ぼくはこう思う。お互い考えを変える必要はなくて、あなたと私のままで生きていきましょう」という感じで付き合うようにしたんです。

差別と偏見がどうしてあるのかというと、それぞれ異なった考えや性格があるから、ぶっちゃけ当たり前じゃないかな。

差別や偏見があることを前提に、どう自分の色を出すか。色を出すとは、自分を出すということ。偽ることも自由だし、強く出すことも自由。

――家族さえも受け入れてくれないと思ったのはいつからでしょうか。

小学生ですね。ぼくがいつも女の子と遊んでいるので、先生が親に「この子は女の子とばかり遊んでいるから注意してください」と言ってきたんです。親には心配をかけたくないと思っていたから、そういうことを言われてすごくきつかったです。「なんでそんなことを言うんだよ」と思いました。

親はやっぱり受け入れてくれなくて、わざと誕生日のときに「黒の時計」や「黒の帽子」をくれるわけです。もちろん息子として、親からの愛は感じていましたが、ところどころに引っかかるところはありました。

中学生に入るとメイクもしていたので、お姉ちゃんも受け入れてくれなかったですね。島国だったので、慣習や伝統がたくさん残っていたので、奇妙に見られているなと感じていました。

家族にさえ受け入れてもらえなかったら、実社会では到底無理だと諦めかけていたのですが、なぜいま自由に自分を出せるようになったかというと、社会に出ることによって、否定も受けましたが、ぼくの味方になってくれる人にも会えたからです。

「人と違うから、一緒にいて飽きない。楽しい」「同じクラスになれてうれしい」という友人が男女問わずたくさんできました。そういう人がいたから、強く自分を保つことができました。

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