2022年4月、大阪・天満橋に大阪初の常設LGBTQセンター「プライドセンター大阪」がオープンしました。「LGBTQであることが何か異質な、悪いことのように思われてしまう雰囲気がまだまだあります。LGBTQだからといって何も特別視されない場所、素の自分でいられる、深く呼吸できる場所でありたい」。センターを開設したNPOに思いを聞きました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

「一人ひとりと向き合う支援の場を」

4月にプレオープンした「プライドセンター大阪」。川に面した、明るいオープンスペース

LGBTQの働きやすい職場づくりのために、10年にわたりLGBTQの職場環境に関する調査研究、研修やコンサルティング、イベントなどの啓発活動に取り組んできた認定NPO法人「虹色ダイバーシティ」。コロナ禍で働き方や生活様式が変わる中、「職場だけではなく『社会的な支援が全然足りていない』という事実を突きつけられた」と話すのは、代表の村木真紀(むらき・まき)さん(47)。

「LGBTQには人生のそれぞれのステージでさまざまな困難があります。勤労世代では、職場の無理解やハラスメント、アウティング(本人の同意なしに暴露すること)、これらによって転職を繰り返したり、非正規雇用で働いたりすることで貧困に陥りやすい傾向があるという調査結果も出ています」

「また日本では、同性婚が認められておらず、社会保障や福利厚生が適用されないなどの問題もあります。団体として、これまではLGBTQという集団の状況を統計データにして、職場や行政、学校の取り組みを促すという間接的な支援活動がメインでしたが、直接一人ひとりと向き合わなければ課題が解決しない局面があります」

お話をお伺いした村木さん。プライドセンター大阪の本棚の前で

「職場や行政の取り組みが進んでいるのに、LGBTQのメンタルヘルスが改善されていないというデータから、『一人ひとりと向き合う支援の場づくり』が必要だと感じたんです」

「学校や職場でイヤなことがあっても、『今日、こんなことがあってね…』と胸の内を話せる人が一人いるだけで、すごく救われます。私はそういう場に何度も救われてきました」と村木さん。

「でも、性的マイノリティは、そんな環境が身近にない人も多い。ありのままの自分で、気軽に集まったり相談できたりするリアルな場所が必要だ。そう思い、この4月に『プライドセンター大阪』をオープンしました」

「私たちはここにいるよ」。センターは、街にむけての看板

窓に掲げられた虹のフラッグ。「私たちはここにいるよ、と街の人たちに向けてアピールしたい」と村木さん

「大阪府の人口は880万人。性的マイノリティは5%と仮定すると、40万人ぐらいいるかもしれません。しかし、誰でも安心して立ち寄れる常設の場所というのはありませんでした」と村木さん。

「コロナ前にオーストリアのウイーン観光局にご招待いただきウィーンを訪れたのですが、大阪と同じくらいの都市規模の街に、LGBTQのためのセンターがなんと4つありました。LGBTの相談場所、ユース支援、難民支援、歴史図書館…とそれぞれに役割があって。『大阪にも一つぐらいあってもよいのではないか』という気持ちになりました」

「場所がなくても、オンラインで集まったり情報発信したりすることはできますが、それだと端末を持っていないとリーチできません。コロナ禍でリアルな場の必要性を改めて感じたんです」

「このセンターの川をはさんですぐ目の前は、モールが入った天満橋の駅や大阪府立労働センターがあり、学生さん、行政関係者など、道行く人も多い。LGBTQの人が身近に誰もいないと思っている人もたくさんいるので、『私たちはここにいるよ!』と可視化したくて、外から見えるように窓いっぱいにレインボーフラッグを掲げて、夜はライトアップしています」

窓に掲げられたフラッグは、夜はプロジェクターで窓に投影。「LGBTQの象徴であるレインボーを街へアピールします」

「誰にも話せない、相談できない、自分は一人ぼっちだと感じている人にも、この虹を見て、『あそこに何かLGBTQに携わる人たちがいるんだ。一人じゃないんだ』って孤独ではないと感じてもらいたい」

「もうひとつは、LGBTQのことをあまり知らない人や、関心のない人たちにも、普段から街の中でこの虹を目にすることで『LGBTQの人たちも、同じ街で共に生きているんだ』ということを感じてもらえたらと思っています」

「居場所かつ、LGBTQへの理解を進める場所に」

センターのベランダからの風景。すぐ目の前を流れる大川。「『東海道中膝栗毛』に出てくる、男色関係だったといわれる弥次さんと喜多さんが着いたといわれる船着場もすぐそこです。夏には天神祭で花火が上がる場所でもあります。常夜灯のように、暗闇を照らす場所になれたら」

2022年の1月に団体の事務所を移転して少しずつ準備を進めながら、この4月にプレオープンしたプライドセンター大阪。

「4月からは毎週月・木・金・土の4日(祝日はお休み)、15時〜20時までオープンしています。運営は予算と相談しながら考えていきたいと思っていますが、まずは無理せず、場として長く続けていけるようにしていきたいです。状況を見ながらにはなりますが、6月にはオープニングイベントを予定していて、9月頃からは相談事業も始めようと思っています」

プライドセンター大阪でスタッフの皆さん。「私たちは、ここにいます」

「ここはLGBTQ当事者だけでなく、どんな人もウェルカムです」と村木さん。

「LGBTQについて学びたいという人も増えているので、たとえば昼間に学校見学や職場見学でこのセンターに来てもらって、当事者の声を聞き、お互いに話し、学び合えるような場も作っていきたいです」

「困難を抱えていたり孤独を感じていたりする一人ひとりの居場所として機能しながら、LGBTQへの理解を深める場にもなれたら。一つひとつは小さなことかもしれませんが、積み重ねが実績となって、アドボカシー(権利獲得)や世論形成につながっていくと考えています」

「自分の未来がまるきり描けなかった」子ども時代

幼少期の村木さん。「お父さん役やお母さん役ができず、ままごと遊びが苦痛でした」

村木さんが37歳で虹色ダイバーシティの活動をスタートして、今年で10年。「他の子と違う」という認識は、幼い頃からあったと振り返ります。

「小学校になると『私は将来結婚しない』と言っていました。同性婚が認められていないので、結婚できないのは今も事実なのですが。当時、ランドセルは黒か赤しかなくて、赤のランドセルがいやで、わざと傷をつけて黄色いカバーをして通っていました」

「中学校に入ると、生徒会に立候補して一番票を得たのに、『生徒会長には男性しかなれない』といわれ、会長になれませんでした。周りの女の子たちから『真紀ちゃんが男の子だったらよかったのに』といわれることもありました」

「レズビアンであることを自覚した時も、周りにそんな話ができる人もおらず、自分の未来がまるきり描けず、どう生きていけばいいかわかりませんでした。端から見ると友達もいて、成績も良くて、何の問題もない子だったかもしれません。でも実際は、周りに壁を築きながら大人になっていったんです」

「『地元の茨城から出るには、勉強して大学にいくしかない。成績が良ければ周囲から何も言われないだろう』と勉強して、京都大学に入りました。就職してからは、『自分は男性以上に働いて、稼いでいる』というところに誇りを持ちました。転職を繰り返し、うつになって働けなくなった時、そこがポキンと折れて深い絶望を味わいました」

「本当の自分がわかってもらえない。
ずっと大きな声を出して笑うことができなかった」

新卒で働いていた頃の村木さん。「新卒で入社した飲料メーカーでは、経理を担当していました」

「職場の人たちと一緒に飲みに行ったりすると『彼氏はいるの?』とか『今度男の人を紹介するよ』などと込み入ったことを聞かれるのが苦痛でした。気力や体力がある時は転職して環境を変えてみたりして頑張れたのですが、ある時プチッと切れてしまった」と振り返る村木さん。

「考えてみたら小さい時からずっとそうだった。『本当の自分のことがわかってもらえない』という状況がずっと続いていて、頑張って逃げることを繰り返していたんですよね。三人姉妹の長女として生まれ、『農家を継ぐためにはお婿さんを迎えないとね』とか、見えない『女性だから』『男性だから』という概念に苛まれ、ずっと大きな声を出して笑うこともできなかった」

「職場でも本当の自分でいることができず、居心地が悪くなると逃げるように転職して、また一から。疲れ果ててうつ状態になってしまいました。もう無理だ、苦しい、なんとかしなければと思い、2012年、37歳の時にこの活動を始めたんです」

仲間に出会い、ありのままの自分でいられる居場所を

虹色ダイバーシティを始めた頃の1枚。写真左が村木さん、お隣は虹色ダイバーシティ理事であり、「結婚の自由をすべての人に」訴訟(同性婚訴訟)大阪の原告であるテレサ・スティーガーさん、坂田麻智さん

では村木さんは、どのように居場所を見つけていったのでしょうか。

「大学進学で京都に来て、20歳ぐらいの時にHIVのボランティアグループに参加して、初めて自分以外のLGBTQの人たちに出会ったんです。しかもたくさんの人に。私はラッキーでした」

「それまでずっと、一人称が言えなくて。『LGBTQあるある』ですが、学校の作文で、最初に『私は〜』などと書き出しますよね。でも『私』という一人称は、子どもの時は女性しか使わないので、いかに一人称をつかわないようにするか、とにかく書き出しを工夫するんです』

「ところが大学時代に出会ったこのグループでは、ゲイの人が『アタシさぁ』と言いながら楽しそうにケラケラ笑っていました。そんな姿を見て、初めて『大きい声で笑っていいんだ!ありのままの私でいてもいいんだ』と思えました」

「もし受験に失敗していたら、地元を出られなかったかもしれません。女性が生まれた土地を離れることが、いまだに難しい地域もあります。仲間に出会えることはすごく大事です。だからこのセンターも、そういう場になれたらと思っています」

「いろんな人に来てほしい。目的がなくてもふらっと立ち寄れて、ありのままの自分で一息つける場所。こういう場所が街中に増えていけば、LGBTQの人のメンタルヘルスは改善するのではないかと思っています」

「一人ひとりが違うからこそ、話そうよ」

今週末、2022年4月22日〜24日に2年ぶりに開催される「東京レインボープライド」。「私たちもブース出展します!ぜひ遊びに来てください。お待ちしています」

「『男性だから』『女性だから』という理由で可能性を狭めることはしたくないし、そんな経験を、今の若い世代にはしてほしくない」と村木さん。

「性のあり方は、誰もが当事者です。何をもってマイノリティというのかも、実はすごく曖昧です。『男らしさ』や『女らしさ』が揺らいできている中、性的マイノリティではない方でも、違和感を覚えたり生きづらさを感じたりすることが増えているのではないでしょうか」

「性別に関わらず、『自分は自分でいいんだ。自分は自分のやりたいことをやっていいんだ』という意識にたどりつくまでに、私は時間がかかりました。一人ひとり、私はみんな違うと思っています。LGBTQ同士でもみんな違います。だからこそ『お互いにもっと話そうよ』とか『もっとゆるく、楽にやろうよ』っていう空気を作っていきたい」

「この場が、LGBTQに限らず、男性として・女性としての生き方に生きにくさを感じている方にとっても癒しになるのではないかと思っているんです。ひとりで悩みつづけ、孤独を感じている人が、誰か共感してくれる、『ええやん』と許してくれる人に会える、深呼吸できる、ありのままでいられる場所をつくっていきたい」

「『当たり前』『これが普通』などと言われた時、常に『そうじゃない人もいるかもしれない』という意識を持っていただけたら。この問題をいかに多くの方に自分ごととしてとらえていただけるかが、生きづらさを抱えている人を減らし、やがて社会や法律を変えていくことにもつながると思っています。お近くに来られた際は、ぜひセンターに遊びにいらしてください。お待ちしています」

プライドセンター大阪を応援できるチャリティーキャンペーン

チャリティー専門ファッションブランド「JAMMIN」(京都)は、「虹色ダイバーシティ」と4 /18〜4/24の1週間限定でコラボキャンペーンを実施、オリジナルデザインのチャリティーアイテムを販売します。

JAMMINのホームページからチャリティーアイテムを購入すると、1アイテム購入につき700円が団体へとチャリティーされ、「プライドセンター大阪」運営のための資金として活用されます。

「JAMMIN×虹色ダイバーシティ」1週間限定販売のコラボアイテム。写真はTシャツ(700円のチャリティー・税込で3500円)。他にもパーカー、バッグなど販売中

JAMMINがデザインしたコラボデザインには、雄大な川とそこに浮かぶ船、空には虹を描きました。つらい時や苦しい時、嬉しい時、どんな時も「ここにいるよ」「あなたは一人じゃないよ」という団体のメッセージを表現しています。

JAMMINの特集ページでは、インタビュー全文を掲載中。こちらもあわせてチェックしてみてくださいね!

LGBTQの人たちもありのままでいられるリアルな居場所を。大阪初の常設施設「プライドセンター大阪」がオープン〜NPO法人虹色ダイバーシティ

山本めぐみ(JAMMIN):
「JAMMIN(ジャミン)」は京都発・チャリティー専門ファッションブランド。「チャリティーをもっと身近に!」をテーマに、毎週さまざまな社会課題に取り組む団体と1週間限定でコラボしたデザインアイテムを販売、売り上げの一部(Tシャツ1枚につき700円)をコラボ団体へと寄付しています。創業からコラボした団体の数は400超、チャリティー総額は7,000万円を突破しました。

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