企業に就職することに目的を見いだせない若者が増えている。
先の見えない世の中で希望や夢もない。ただ安定を求めてサラリーマンや公務員になる若者も多い。
それに対して、大きな夢を持ち、世界に課題を見つけ、社会をより良くしたいという熱い想いを仕事に繋げる若者が注目されている。
企業に勤めると「働き方」と「生き方」は違う。働き方はあくまで業務時間内の話。しかしNPOに勤める人々の話を聞いていると働き方と生き方は同じなのではないかと思う。働いているという意識さえないかもしれない。
今回、NICEというNPOで働く職員に「働くこと、生きること」について尋ねた。
NICE(ナイス)は、カラフルでヘルシーな地球社会づくりのために、国内外のワークキャンプ等のボランティア活動を行うNGOだ。2010年は290事業を主催し、3,624人のボランティアと数十万人の地域住民が参加している。
これから本格的に始まる就職活動を控える学生必見!
NPOで働くって実際どうなんだろう?
<話し手プロフィール>
◆河津 舞(かわづ まい) 週末事業部
福岡県出身。
高校生の時にNICEと出会い、水俣や北九州、マレーシアでワークキャンプを経験し、地球の多様さ、力強さ、素晴らしさに魅せられる。
多様な生命がありのまま、いきいきと生きる社会を地元、九州から創っていきたい!とNICE九州事務局設立を目指し東京で修行中。
参加したワークキャンプは、水俣(06,07,11年)、杷木(07,08年)、北九州(07~10年)、マレーシア(10年)
◆河村 英恵(かわむら はなえ) 国際派遣事業部
広島県出身。
大学休学中に1年間イギリスのブラッドフォード大学で平和学を学ぶ。
帰国後、インドでワークキャンプに参加。
3年半のOL生活を経て、2011年9月より現職。
NICEではハードなワークにも余裕で取り組める人を目指す。
参加したワークキャンプはインド(08年)、タイ(11年)
「やりがいは一度も感じたことがなかった」
――河村さんは、社会人生活を経てNICEの職員になったそうですね。
河村「服の生地を扱っている商社で、3年半働きました。事務職だったので、仕事の全体像も分からない中、言われたことをただやるだけでした。理由も知らされずに、理不尽なことを指示されることも多く、やりがいを感じたことは一度もありません。忙しいうえにやりがいもなく、ストレスで身体を壊しました。」
――だから退職を?
河村「3年間働いて300万貯めて、退職して大学院留学しようと思ってました。大学生の時、1年間休学してイギリスの大学で平和学を勉強しました。そこで、元々興味のあった国際協力の世界に行こうと決意しました。でも、新卒で国際協力の世界は厳しい。少なくとも大学院卒でなければ受け入れてもらえません。しかも、ボランティア経験も少なかった。3年以上の社会人経験が必須であるNGOも多かったので、3年働こうと思いました。貿易のゼミにいたので、商社に入ったというだけ。」
――では、河村さんがNICEで働こうと思ったきっかけは。
河村「社会人生活3年を過ぎても、忙しくて辞められずにいたところ、今年の3月にNICE職員の募集が目に留まりました。運良く採用され、8月中旬に今までの会社を退職して、9月から働き始めたところです。私の仕事は日本人を海外に派遣することで、国際協力に興味を持つきっかけづくりをします。会社を辞めるまでは、忙しくて勉強するきっかけがないという言い訳を作って、社会に流されていたように思います。今年の初めに仕事を辞めると宣言してから全てがうまく流れるようになった。運命だと思っています。やっと夢が叶ったという段階ですが、これからNICEで働いて、どんなことを考えるのか楽しみです。」
――元々国際協力への興味はどこから?
河村「小学生の頃、マザーテレサの伝記を読んですごい! と感動しました。でも、私は家族を捨てて、こんなことはできないとも思いました。それがきっかけです。マザーテレサにはなれないけれど、自分にもできることがあるんじゃないかと考えました。NGOであれば現地の人々との結びつきもすごく強いから、そこで働きたいなぁと。」
――ありがとうございました。さて、河津さんは大学を卒業してすぐにNICEの職員になったそう。働きはじめてどうですか?
河津「仕事は気持ちがなければ絶対ついていけないです。4月から働き始めて半年程度ですが、毎日が怒涛のように過ぎてきます。ゴールデンウィークに世間は休んでいたけれど、私は2日しか休みがなかったんです。それでも、周りを羨むこともなく、充実感の方が強かった。自分のやりたいことをやっているという気持ちが強いです。」
――NICEで働こうと思ったきっかけは。
河津「NICEの事務所は東京と関西にあります。地元の九州で事務所を立ち上げたいと志願したのがきっかけです。NICEの代表に直談判したところ『本当にやりたいなら事業計画書を作って見せてくれ』ということになりました。大学4年生の春、何も分からないまま事業計画書を書きました。一番初めに書いたのはなんと“野望”。そんな事業計画書ないのに(笑)。その後何度かやり取りを経て、来年9月に福岡に事務所がオープンする予定です。今は修行期間として東京の事務所で働いています。」
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