チームまさか主催のイベント「これが僕らの再生起 ~病気・天災・障がい~」が日比谷公会堂で10月29日に開催された。

人生のドン底から起き上がった三人から、どうして起き上がることが出来たかについての講演と、双子のシンガーや50名以上からなるゴスペル団体のライブの二部構成されたイベントについて、当日の内容をレポートしたい。

●杉浦貴之(病気)氏の講演


杉浦氏は1999年12月に腎臓がんを患い、2年の余命宣告を受けるが、ホノルルマラソン完走という目標達成によりガンを完治し、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」や日本テレビ「24時間テレビ」出演など多数メディアに出演している人物。
現在はチームメッセンジャーという団体を立ち上げ、同じようにガンに苦しむ人達に講演会などでメッセージを伝える活動をしている。

ホノルルマラソンを走れるほど元気になったのではない、走ったから元気になったんだ、と杉浦氏は伝える。
2010年には、がんサバイバー ホノルルマラソンツアーを開催、余命宣告を受けたガン患者達や、彼らを支える仲間たち80人とホノルルマラソンに挑戦し、全員が完走した。 参加者に触発され、後に続く仲間たちが出てきており、希望の連鎖となっているという。
氏は訴える。大事なのは楽しい夢を描くことだと。夢に向っていくことで、人間の力が引き出される。ガンを患うまでは、我慢をして、自分に蓋を生きてきた。抑圧して、人の期待に応えてようとしてきたが、応えられず自分はなんてダメなんだろうと思っていた。ガンと言われて、それに気が付いた。今のままで良いんだ。生きているだけで、人に価値を与えているんだ。どんな自分でも、生きているだけで100点満点なんだ、大丈夫なんだよと。
どんな夢に向かおうとしても、今の自分にOKを出さなければ、前に進めないと思う。自分自身に良く頑張ったね、大丈夫だよと言ってあげて欲しい。ガンは、自分の道しるべだったと、今では思えると語っていた。
氏は、がん宣告を受けてから、がんを克服して元気になった人に会いに行った。そして、病気のベッドの上で、それまでの最高の人生経験であったホノルルマラソンに、もう一度挑戦したいと考えた。それから毎日、ベッドの上でリアルなイメージトレーニングを繰り返した。走っているシーンを頭に焼き付け、ゴールするイメージをして号泣までする。更には、キレイな女性と抱き合い、結婚までするという、まさに夢のような光景を、強くイメージした。
そして実際に、2005年11月には余命宣告後にホノルルマランを初のゴール。2008年12月には、ホノルルマラソンにゴールした翌日に実際に結婚式を挙げた。
●てんつくマン(天災)

てんつくマンは元吉本興業のお笑い芸人で、山崎邦正の元相方。後に映画監督、カンボジア支援等をし、現在は宮城県石巻市で災害地支援の第一線で活躍しているている。
お笑いをやっている頃から映画をつくりたいと考えていたという氏が、実際に映画を作るまでに至るエピソードを、笑いも含めながら語っていた。
映画を作りたいという気持ちがあるが、どう行動したら良いか分からない氏は、氏なりに考え、映画のグッズを作ってそれを売れば儲かると考える。32日間フルマラソンをしながら出資者を募るも、集まらない。身内から借金をするなどし、800万円の資金を元手に映画グッズを作るが、ほとんどが不良品でどうしようもない。お金を持ったスタッフには逃げられ、資金集めは進まず、結局映画作りは頓挫する。
残ったのは多額の借金だけだが、それでも夢をあきらめたわけじゃない。スティーブ・ジョブスに習って、ハングリーになれ、アホになれと自分に言い聞かせ、バイトだけは絶対にしなかった。バイトをしたら飯が食えるようになってしまうから、文字通りハングリー精神が無くなってしまう。逃げ道を閉ざしたほうが、ほんとうに自分の力になる。何か良いアイデアは降ってこないかと必死に考えて、考え続けた結果、近くにたまたま筆と墨があり、ふと湧いてきた言葉「心配すんな、どうせ死ぬ」と書いた。書いた言葉を、表参道の道端で売るようになる。しかし、初日の売上は350円。あるとき、女の子が「私を見て言葉を書いてください」と言って、それを書いてあげると号泣して、元気になって帰っていった。自分のやることで、誰かを元気にできる、意味の有ることじゃないか。そして、1ヶ月半目には人だかりができるようになって、ついには出版社から声が掛かる。出版して、借金を返すことができた。それが個展へと繋がり、映画の資金集めに成功することが出来た。
各地で個展を開催していくなど、順風満帆のようであったが事務所が火事になってしまう。しかし、それでも落ち込まない。むしろ、それをネタにしてしまえと、個展開催の営業に向かうと文字通り火が伝染していった。営業で飛び込んだ百貨店の営業部長から、TV局の編集長に話が飛び、無料でCMを打ってもらうことができた。それがキッカケで、個展はとても盛況になり、遂には映画製作費用の6000万円を集めることが出来た。
考え方を変えれば、物事の受け止め方が変わる。すべての出来事は良いことだと、未来につながる気付きを得ようと決めれば、その経験は心の傷にならず「気付き」になる。
そのためには、自分の中に無意識に組み込まれてしまっている自分ルールの分析が必要。自分の中のネガティブを本当に疑ってみる必要がある。決めつけのような「○○なんて出来るわけがない」のような言葉は、それは自分の声ではなくて、小さい頃に刷り込まれた、親の言葉かもしれない。
自分の胸ぐらをつかんで、おまえに何が出来るんだ、と本気で問いかけて欲しい。
そして話は震災時の話に転回する。
震災時、情報はラジオとtwitterだけだった。twittterのつぶやきに、こんな時にてんつくマンならどうするだろう? そりゃあ行くでしょうという書き込みがあった。それを受けて、ダイレクトメールで行くって聞きました。頑張ってください、なんて話が広がってしまった。阪神大震災のときに、動けなかった後悔もあったから、周囲の反対を押し切って被災地に飛び、支援活動をした。
宮城県と福島に事務所、仮設住宅にひきこもり、阪神大震災では孤独死をする人が多かった。
それを防ぐためのお茶会を催すプロジェクトを行なっている。また、1000人トナカイ・プロジェクトとして、仮設住宅の寒い環境の人達にコタツを届ける活動をしている。

●おかあさん(障がい)

おかあさんという名前は通称の呼び名で、上の写真では右側に座っている男性。障がいを持って生まれ、生まれてすぐにゴミ箱に捨てられていた。そして2010年には余命3年と宣告を受けるなど壮絶な人生。現在は、命をかけた講演を続けている。

おかあさんの半生に驚き、社員に聞かせたいと言って数十人の社員にチケットを配った社長もいる。それだけ、インパクトのある半生を送られてきた方だ。

この講演は、おかあさんとチームまさか会長との対談形式で行われた。

おかあさんは生まれながら障害(四肢関節硬節症)を患っており、そのために学校でいじめを受け、友達もいない環境で育った。机の上に花瓶が置いてあったり、画鋲を椅子の上に置かれるなどは日常のことだったが、
父親が厳しい人で怒られるのが嫌だから学校に行くしかなった。中学校になると、学校に行かなくなる。学校に行っても殴られるだけで、通う意味が無い。
中学時代のあるとき、夜中に外出していると、学校の番長とバッタリ会った。おまえ、何で学校に来ないんだよと。オレが守ってやるから学校に来いよと言われる。そこから、彼が守ってくれるようになって、彼の手下達が友だちになった。いじめられなくなって、学校に行くのも楽しくなった。
高校の時には彼女も出来た。あるとき障害者のスポーツ大会で、ヤンキー風貌の女の子と出会う。その女の子はボランティアとして来ていて運営の手伝いをしていた。彼女の仕事は刺青師で、左手の刺青は彼女が彫ってくれたもの。何よりのお守りだから、人から批判されても気にしない。その彼女とは4-5年後に結婚することになるのだが・・・。
そこまで自身の半生を振り返ったところでムービーに入る。

・ 最愛の彼女が強姦され、その犯人を探し出して車でひき殺そうとしたこと
・ 10年間の牢獄を経て 10年6月に出所し、チームまさかと出会う
・ 余命3年の宣告を受ける
・ 再度復讐しに会いに行くも、結局殺せずに謝罪の手紙を書く
ムービーはかなり簡略化していたから、補足させていただく。復讐しようとした犯人は、車でひかれた後、ずっと病院に入院しなければならない状況だった。 謝罪の手紙を書いた後に、その犯人はそれが原因で亡くなっている。
おかあさんは語る。出所したときには誰もいなかったけど、今では支えてくれる仲間がいることに感謝をしている、と。
そして、この講演を機に過去を語るのは辞めたい。みんなを応援する方に周りたいと語っている。
●光と風 Hi-Fu(再生)


Hi-Fuはレトロニューミュージックという新しいジャンルの曲を歌う双子のデュエットだ。

広島に拠点を置いて活動しており、中国・四国地方では道を歩けば人だかりができるほど人気だという。
震災後復興を願う曲として作曲した「千年華」は、東北でも幾度となく流れ、多くの反響を得ている。

彼女たちの曲はyoutubeでも聞くことができるが、生演奏でこそ伝わる感動がある。双子の声の重なりが、歌詞の内容と含めて、心に染み入る曲になっていた。
彼女たちと面識があるのだが、非常に繊細な印象だった。人見知りがひどく、デビュー当時は人の目を見て歌うことが出来なかったと語っていた。それが、今では日比谷公会堂の大衆の前で歌えるのだから、大変に努力したのだろうとも思う。
●BE choir(再生)


2012年にAKB48の所属するキングレコードからメジャーデビューが決定しているゴスペル団体。
観客総立ちの中、場と一体になるような歌を披露していた。

メジャーデビューするだけの実力を持つ、このゴスペル団体はちょっと変わっている。50人近いメンバーが所属しているが、そのほぼ全てが一般の人々で、年齢や職業も様々。団体メンバーの中には幼稚園生の子もいたりする。
基本的には、誰でも参加したい人は参加できる方式をとっており、そのような条件で集まったメンバーが作り出すハーモニーは、聞いていると不思議な印象を受ける。メンバーの幾人か知っているが、みな熱い心を持っている。

最後に、チームまさか会長からのメッセージ。
どう乗り越えたらいいんだろう?をテーマにした今回のイベント。
会場で配られたパンフレットには、大前研一の著書から、人生を変える3つの方法が記載されている。一つ目は習慣を変えること。二つ目は住む場所を変えること。三つ目は付き合う仲間を変えること。
講演の中で、てんつくマンは考え方を変えたらいいんだよと言っていた。
こんなエピソードがある。ある人が、酔っ払って線路の上に寝てしまった。起きたときには、両足が切断されてしまった。その人は、そんな事故を受けても「ヨッシャ!」と思った。何故なら、短足で悩んでいたのだけれども、事故で電車がひいて、切ってくれた。もう短足に悩まなくても良い、そう考えた人もいる。
また、おかあさんのムービーにあったように、おかあさんは仲間がいたから、人生変われた。
でも、どうやって変わったら良いのと思うかもしれない。だったら簡単で、今回ゴスペルを披露したBe choirは団員を募集している。やっちゃえば、簡単なんだ。
日比谷公会堂という大きなステージを舞台にしたイベントを主催することは、会長にとって、とても大きな苦労が必要だったと思う。今後の会長の活躍に注目し、引き続きお伝えしていきたい。
オルタナS 特派員 滝井圭一