日本でも繁華街や少し大きな公園に行けば、「ホームレス」(路上生活者)を見かける。多くの人はついつい目を逸らしてしまうだろう。

路上生活者と言っても様々で一括りにはできない。しかし、彼らの話を聞いていると、幸せとは何か、ということを考えるヒントを与えてくれる。

例えば、現役の路上生活者の中には、過去に生活保護を受けてアパートに入居し、路上生活から一度脱したことのある人が少なからずいる。なぜ再び路上生活に戻ってしまったのか、と聞くと、アパート生活を自ら捨てて路上に出てきたという。

また、炊き出しに来ているのは路上生活者だけではない。生活保護受給者もいるし、月収40万のサラリーマンに会ったこともある。後者は明らかに食事に困るような生活はしていないのだ。

生活保護を受ければ屋根のついた家に住める。サラリーマンはマンションの5階に住んでいる。彼らはどうして公園に出てくるのだろうか。金や家や職を得て「ホームレス」を脱したなら、公園はもはや関係のない所ではないのか。

サラリーマンはいう。

「休みの日に家で、一人で飯を食っても美味しくない」

生活保護を受けている彼はいう。

「体が悪く仕事もできず、家の中で一人、何をしろというのか。テレビでも見ていろというのか」

公園に半日いると、路上生活者仲間や近所の外国人労働者、ボランティア、ちょっと怪しい人、色々な方が声をかけてくれる。5分も談笑して、彼らは去っていく。

成熟した経済の片隅で路上生活者が純粋に求めている幸福の基準は、私たちの幸せの尺度になりうるのではないだろうか。(オルタナS特派員=大下ショヘル)