沖縄県南部にある安座真港からフェリーで東に20分行ったところに位置する久高島。人口250人のこの島は沖縄県では「神の島」と崇められている。
沖縄本島からそう離れていない島なのに、船からおりた瞬間流れる空気の違いに毎回驚かされる。ゆっくりしていて、自然も豊かでのどか。でもどこか、凛とした空気が流れている。
独特の空気感は、久高島が神の島と言われる所以と関係がある。久高島は琉球創造神アマミキヨが降り立った場所と言われ、とても神聖な場所とされている。島外の人間が安易に立ち入ってはいけない、特別な人のみ入ることの許される場所が、島内に点在している。島の自然ものは、石一つを持ち帰ってはいけない。
久高島では私有地は存在しない。家や畑のための土地は借りることができる(久高島土地憲章)。土地は神様からの「借りもの」と考えられているからだ。しかし、久高島の人の話を聞くと、この考えは土地に限ったことではないことがわかる。天気、農作物、生き物、日々の暮らし全ての事象に対して神様の存在があり、「感謝」「畏敬」の気持ちを表しながら生活している。
島のおばぁは毎朝、3つの茶碗を用意しお茶を注ぐ。それぞれは天と地と竜宮(海)で、それぞれに感謝の意を捧げることから1日がスタートするという。
久高島振興会のHPには、こう記されている。「島のおばー達の一日は、天、地、海への感謝から始まります。神様、ご先祖様がいつも守ってくれていると信じているからこそ厳しい自然の中でも謙虚さと感謝の心を忘れずに生きてきたのです」。久高島の人々にとって、神様はとても身近な存在なのだ。
先日、久高島のある南城市の市制5周年記念シンポジウムが行われた際に、久高島の小学5年生の女の子が理想のまちをテーマに「お年寄りは久高島の宝です。お年寄りが暮らしやすい島にしたい」と力強く語っていた。
「感謝の心を持っている人は、精神的に満たされる」と島の人は言う。
何かを求めるばかりでなく、与えられているものを有難いと思うこころがあるからこそ、互いに分け合い、他者を思いやることができる。そしてその思想を脈々と伝えてきた先人たちを敬う心。
神様という大きな存在があって、与えられているものへ常に感謝している。そこにこそ、久高島の幸せはあるのだと思う。(オルタナS特派員=新嘉喜りん)