今年5月15日に行われたワールドシフトフォーラム2011。これは、2009年ロンドンでの「世界的緊急事態における ワールドシフト2012宣言」をきっかけに、平和で持続可能な社会を実現するために、世界を取り巻く様々な問題に対して、新たな方向へのシフト(転換)を提言するイベントだ。

ワールドシフトフォーラム2011
http://www.worldshift.jp/index.html

ワールドシフトについての記事はこちら
「ワールドシフト」を8万5千人が視聴
http://alternas.jp/news/2011/05/1094.html

このフォーラムに参加した大学生からレポートを寄稿していただきました。

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「私はこの世界をこうしたい!」
私たち一人ひとりが思い描く理想の世界とは。

World Shift Forum 2011が15日、東京都渋谷区の国連大学ウ・タント国際会議場で開かれた。第2回目となる今回は、主にセッションでフォーラムは進んでいき、それぞれの分野の著名人同士が自身の意見をぶつけ合い、共に未来の為に進んでいく一つのきっかけとなった。

基調講演から始まり、合計で5つのセッションが用意されていた。「エネルギーと消費のシフト」、「ビジネスとお金のシフト」、「コミュニケーションと社会のシフト」、「ライフスタイルと地域のシフト」、そして最後に「市民と国際ガバナンスのシフト」。

今回、どのセッションも東日本大震災のことを中心にして議論が進んでいたように感じる。最初のオープニングセッションにて、田坂広志氏は強くこう語った。
「今、日本は未曽有の困難にある。しかし、ここから復活する日本を『GDPさえあがればいい』と考えるようではだめだ。」

東日本大震災で、さまざまな問題が浮き彫りとなった。
金儲けを追い求める、行き過ぎた資本主義。
便利さを求めるあまり、過剰に進む環境破壊。
そして未来を壊し続けている原子力発電所。

「これからの未来は70億人の人々が、
『豊かさ』を求め、奪い合う。
そんな未来だけなのか?
3.11を通して、様々な気づきを得て、
学んだ私たちが見える未来は違うのではないか?」

そしてこのような困難な状況にある中、今後の未来を担っていく私たち若者に課された使命は大きい。

私たち若者世代は、生まれた時から経済的に発展しており、不自由なく暮らしてきた人も多いと思う。そして「何事にも無関心」と言われるのは、このような社会で育ったが故であるのかもしれない。無関心とは関係の断絶。この高度に発展した社会で、人と人、人と社会、そして人と自然。そのつながりを感じられる機会がどれだけあるのであろうか。

それ故、自由とは、元からあるもの。
権利とは、与えられるもの。
「生きる」とは、当たり前のこと。
と感じているのではないだろうか。

しかし本当は、私たちは、「生かされている」と感じる。

「もし自分が・・・。」で考えてみてほしい。

もし自分がアフリカの子供だったら?
もし自分がHIVに感染していたら?
もし自分が独裁政権下で暮らす人だったら?

自由は得るもの。
権利は掴み取るもの。
「生きる」とは、「有り難い」こと。
そう思えたのではないか。
今回の東日本大震災。多くの方が亡くなられた。
たまたま地震当日、自分が東京にいたから生きられた。もし東京で起こっていたら、
自分が死んでいたかもしれない。

私たちは自分で生きているのではない。自然に、社会に、人に「生かされている。」

そうであるならば、それらに対して感謝すべきだろうし、それらとのつながりを大事にするべきなのではないか。そして「生かさしてもらっている」社会が、日本が今困難だからこそ、私たち一人ひとりが行動として実際に動いていく必要がある。夢や理想を語るのはいいが、もっと等身大で、もっと一人称で考えていく必要がある。
「今、自分には何ができるのであろうか?」

待っていても、しょうがない。これからの未来を担う若者が、この震災、そしてこの世界に対してどのようなアプローチをかけていかなければならないのか。
一人ひとりが真剣に向き合う必要がある。

それをこのフォーラム全体を通して感じさせられた。(寄稿 法政大学4年 三井俊介)