「母は愛してるなんて言わないけど、いつだってその行動で僕らに愛情を示してくれた」
12月22日、母親はノリエルに電話をよこした。「帰って来て、クリスマスを一緒に過ごしましょう」。キリスト教徒が90%以上を占めるフィリピンでは、クリスマスは一年で最高の家族行事であり、思い入れの強いひと時だ。死の一週間前であったが、この時も母親は自らの病状について触れなかったと言う。電話を切り、結局ノリエルはクリスマスに帰らなかった。そして再び母の声を聞くことはなかった。
「帰宅は31日だと言ってあったけど、本当は30日にこっそり帰って驚かせるつもりでいたんだ。でも、もうその時には息を引き取っていて、驚かされたのは僕の方だった」
喜ばせたかったんだと繰り返しながら涙するノリエルの姿は、まだ真新しい傷を抱える者の姿だった。享年45歳。早過ぎる死だった。
「こんなにすぐ死んでしまうと分かっていたら、研修になんか行かなかったのに」
あるNGO団体が企画したリーダーシップ研修は当初3ヶ月の予定だったが、プログラムの途中で6ヶ月間に拡張されていた。母親の容体は心配だったが、研修に参加することで得られる給与に期待して参加継続を決めたという。もちろんACCESS青年会のリーダーとして活動する中で、興味も言動もバラバラな若者を統率する苦労を経験したノリエルは、それに比例して成熟し洗練されていく自らの意識の変化に興味を抱いていたし、社会問題として地域改善にも積極的に取り組んでいきたいと願っていた。しかし、彼が何より欲しかったのは母親の治療費であり、研修そのものではなかった。最終的に9ヶ月に延長された研修を修了することなく、ノリエルはプログラムを離脱した。
「いまでも母が夢に出てきて、僕は自分がした決断の全てを後悔しているんだ」
援助する側とされる側の間に生じる目的意識のミスマッチ。ノリエルが大学で経験した奨学金制度の件を始め、結果的にNGOの善意に振りまわされてしまった貧困層出身者の姿がここにある。奨学金を私用目的で使ったとして大学を退学になった際も、2009年に起きた立退きによって家を失ったメモラション一家が生活を再建するために必要なお金であったとの訴えに、NGO団体側は一切の理解を示さなかったという。
日本のODA(政府開発援助)がフィリピン財政に大きな負担を掛け、一般企業への公有地売却を斡旋した結果として立退き問題が浮上してくるように、規模こそ違えど、支援とは不具合の生じやすい極めて繊細な相互関係下にあるという事実を改めて意識するところとなった。
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