来年2月に開催される東京マラソンに向けて寄付を集める新制度「Run with Heart(ランウィズハート)」が導入された。この制度では、ウェブ上で家族や友人に寄付への協力を呼びかけ、寄付先団体を支援する仕組みだ。規定となる10万円以上の寄付が集まったところで希望者は東京マラソン2013にチャリティランナーとして出走できる。今回、このシステムに登録した元ビーチバレーボール選手である朝日健太郎さんにランウィズハートの魅力を聞いた。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆)
——「現役を終え、次の人生への第一歩として、東京マラソンに挑戦したい」とのことでしたが、なぜ東京マラソンを選ばれたのですか?
朝日:私の周りにはランナーが多く、みんな生き生きとしています。知人がチャリティランナーとして走っていたこともあり、東京マラソンにチャリティがあることは知っていました。そういったこともあり、現役を終えてすぐ、東京マラソンのチャリティランナーの話を聞いて、自分のなかでぴたっとはまりました。
——今回のランウィズハートはウェブ上で周りから支援を募るかたちのチャリティですが、朝日さんはこれまでにチャリティ活動に参加されたことはありますか?また、実際にご自身で登録されてみて、ランウィズハートが東京マラソンを通して若者がチャリティ活動に目覚めるきっかけになると思いますか?
朝日:東日本大震災で、アスリートとしてスポーツ用品を集めて送ることはありましたが、今回のようなチャリティは初めてです。しかしビーチバレーの試合で世界を転戦していく中で、チャリティとは、世の中みんなで支え合うことなのだと実感しました。
特に五輪選手として行ったロンドンでは、人を助ける、支え合うといった精神が根付いていて、人々がチャリティに寛容であることに驚きました。それに対し、日本ではチャリティという概念を実感することはまだ少ないと思います。今回のランウィズハートによって、チャリティがぐっと身近に感じられるようになり、誰かを応援したい、という思いが行動にすぐ直結するようになったと思います。これをきっかけに若者たちの間でチャリティ文化が根付いたらいいですね。
——今回のようなチャリティは初めて、とのことですが、初めて挑むものに対してどのようなモチベーションで挑みますか。
朝日:新しいことに挑む過程を楽しむことにしています。試しにやってみるくらいの姿勢で取り組んでいます。楽しむ過程の中で結果が出なくても、あまり悲観はしません。ただ、私は目の前の努力を続けていれば、いずれ大きな目標にもたどり着くと思っています。
大きな目標に向かって意気込むのではなく、日々の小さな目標を確実にクリアすることを心がけています。大きな夢を抱くことも大切ですが、微調整しながら、毎日、自分のトライを積み上げていきます。
——目標タイムはずばり何時間でしょうか。
朝日:目標タイムは、5時間ですね。でも、ビーチバレーを始めて、砂の上で過ごすことが多くアスファルトの上は、最長3キロしか走ったことがないので、完走できるのかどうかも不安です。笑
砂浜とアスファルトは、足に掛かる衝撃が違うので、まるで宇宙で暮らしていた人がいきなり走る感覚です(笑)。それでも、自分がどれだけぼろぼろになるかが楽しみです
——現役を引退されましたが、今後はどのような活動を行っていく予定ですか。
朝日:スポーツで世直しをしていきたいですね。スポーツを通してチャリティのきっかけを与えることが出来ればと思います。
また、スポーツ外交に興味があります。国際試合など、選手同士が真剣に戦い、健闘をたたえ握手し合う。そのようなシーンを多くの人に見せていきたいと思っています。
——ランウィズハートで若年層の世代にも、チャリティランナーとしての門戸が開けました。チャリティランナーとして挑む若者にメッセージをください。
朝日:私の好きな言葉は「挑戦」です。挑戦するということは自分を前進させます。若いうちに、自分が前進できるものを見つけて、それに打ち込んでほしいと思います。
寄付金・チャリティランナー募集について
新しい参加の仕方「チャリティ・サポートシステム Run with Heart」
募集期間:募集中~平成24年12月16日(日)午後5時まで
定員:先着3,000人/定員になり次第終了
詳細はURL https://www.runwithheart.jp/まで
朝日健太郎:1975年9月19日熊本県出身。元ビーチバレーの日本代表で2008年の北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックに出場。現在は株式会社フォーバル所属。中学時代からバレーボールを始め、大学生の時には全日本代表に選出される。大学卒業後はサントリーでVリーグ3連覇を達成。2002年、オリンピック出場という夢のためインドア全日本代表からビーチバレーに転向・北京オリンピックでは日本人男子として歴史的な初勝利をおさめ世界9位、ロンドンオリンピックにも出場したが、同年のペポニアカップを最後に現役を引退することを発表した。