国学院大学を今年3月に卒業した吉川大智さんは、4月21日から1年3カ月かけて旅へ出る。旅に出る明確な目的はなく、帰国してからの予定もない。日本では、新卒一括採用が主流であり、既卒者が就活するには非常に不利な立場に立たされる。このようなオルタナティブな選択をすることはリスクでもあるのだ。この決断をするまでには、どんなことがあったのか。その思いを寄稿してもらった。




いつからか、夢は夢のまま、という概念が常につきまとっていた。夢を叶える人は、ごく一部の運がいい人だけ、と自然に思っていた。ふと、今までの人生の中で、自分の頭で考え、決断したことって果たしてあっただろうか、と考えてみる。僕が中学生高校生だった頃、どんなことを考えて生きていたのだろうか。

あの頃は、自分の未来に対して、あまり興味が湧かなかった。正確に言えば、漠然としすぎていて、よく分からなかった。未来を想像する、自分の夢を考える、なんて、きっと大事なことなのだろうと思っていたけど、目を背けて来た、と言った感じだろうか。

無知だったが故に、何でもできる気がしていたし、それと同時に何もできない気もした。「大人になったら…」と言っていた幼少期ほど、心はピュアではないし、かと言って、将来を語るほど自分というものを分かっていなかった。「努力は報われる」とか、「夢は叶う」という陳腐な言葉を聞くと、ちょっと寒気がする、そんな時期だった。

しかしなぜか今更になって、幼稚園生や小学生の時のような、ものすごくピュアな心になっている自分がいる。なぜか。それはきっと、これからやろうとしていることは、生まれて初めてのことだからだ。

それは、「世界一周をする」ことではなくて、「自分で決めた道を自分で歩く」ということについてだ。思えば、僕の人生はずっと、不自由しなかった。実家暮らしで衣食住には困らなかったし、小中高大と学校に通わせてもらって、行けばそこにはいつでも気の知れた仲間がいたし、誰かが常に僕の前に正しいレールをひいてくれたから、特に疑問も持たず、反感も持たず、それに沿って、みんなで手を繋いで、仲良く歩いて来た。

なんでも任せっきりで、「よくわかんない」「なんでもよくね?」が口癖で、自分の人生のこと、将来のこと、考えたら気が遠くなるような色んな事にふたをして、流れるままに流されてきた。

やがて大学生になって、色んな考えを持つ人と出会い、また、いろんな世界があることを知った。その時、僕は今まで気付かなかった見えないレールに乗っかって来たのだと、初めて認識した。僕は今まで何をして来たんだろう、今までの人生、自分の足で歩いて来ただろうか、そして僕の人生は、一体誰のものだろう?と考えた。

今回、恥ずかしながら、何から何まで自分で取捨選択をして生きていく、というのは初めてだ。何を背負う?どこに行く?何を食べる?どこで寝る?誰と話す?どうやって旅する?そして誰と出会い、縁を紡ぐのか。

自分の稼いだお金で、自分の頭を使って、自分の時間を、日々生きていくわけである。だから、心が勝手にピュアになっているんじゃないかと思う。今時世界一周なんて、若者の間ではちょっとしたトレンドになっていて、時間とお金があれば誰でもできることだ。

新しいことをしよう、すごいことをしようなんて思いは、これっぽっちもない。それでも僕の世界一周は、僕だけのもの。初めて自分で歩みだした、僕の一歩である。決断してから、たくさんの壁があったけど、一歩ずつ、着実に、夢に近づけていった。

あの頃、「努力は報われる」「夢は叶う」なんて忌み嫌っていた言葉たちは、今更になって僕の背中をそっと押し続けた。動機は不純でもいい、覚悟して決断すれば、全ては動き出すのだと身にしみて分かった。

帰国してどうなるか、就職はどうなるか、そんなことは分からない。どうなるか分からないから、手も足も出ない、という人もきっとたくさんいる。それでも、分からない何かに賭けてみる、という選択肢があっても、いいと思う。

小中高大と通い、大学は4年間で卒業し、卒業したら就職、という流れが大きなトレンドになっている。休学を利用したり、ギャップイヤーを実践している人もいるが、まだまだ少ないと思う。

決して、大勢の流れに逆らえ、と言っているわけではない。たとえ疑問をもってレールから外れたとしても、たいしたことはないよ、と言いたい。

幼稚園の卒業文集


正しい決断は、ひとつもない。決断したことを、正しくしていくだけ。これからも、自分の選んだ道を、否定しない生き方をしていこうと思う。(寄稿・吉川大智)


<吉川大智>
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