世界の厨房で働きながら旅をするーーある三ツ星料亭での板前修業を中断し、田中佑樹さん(25)は世界一周へと旅立った。コネもツテもない状態からスタートし、自分を働かせてくれる店を一軒ずつ探し回り、最終的にはアメリカ、ペルー、スペインなど8カ国の厨房を訪れることができた。板前として異色ではあるが、「板前である前に、一人の人間としてどう生きるかを考えたかった」と田中さんは語る。彼は何を感じ、世界に飛び出したのか。一人の若者の胸中に迫った。(聞き手・オルタナS特派員=清谷啓仁)
――旅に出ようと思ったきっかけは何ですか。
田中:東北大地震が起こった際に、現地でのボランティア活動に参加したのがきっかけでした。人間の死を間近で見ながら活動する中で、自分もいつ死ぬかわからないということを実感したんです。
料理専門学校を卒業後、某三つ星料亭で修行していたのですが、板前としてはいわば王道を行っていたと思います。僕自身は日本料理「すえよし」の長男として生まれたので、小さい頃から二代目として父の店を継ぐことが決まっていて。これまで料理のこと、父の店を継ぐことしか考えてこなかったんですよね。板前である前に、一人の人間としてどう生きていくかということに目が向いていませんでした。
自分の中にモヤモヤとした感情が芽生えてきて。一度広い世界に身を置くことで、その答えが見つかるかもしれないと思ったんです。
――反対はされませんでしたか。
田中:「修行を中断するのはよくない」と、料理関係の先輩には反対されましたね。当時は修行4年目だったのですが、一人前になるまでに10年と言われる日本料理界で、4年目というのはまだまだ未熟者なんです。まずは一人前になってからという先輩の意見は、グサッと刺さりました。
これまで一人前になるということにストイックになってきましたが、自分の軸がブレてきているのを感じていました。一人前になりたいということに変わりはありませんが、問題はその方法ですよね。先輩に言われたことは当然のことでしたが、寄り道してもまた一生懸命やればいいなと思ったんです。
――世界の厨房で働きながら旅をするという考えは、元々あったのですか。
田中:当初はまったくありませんでした。言語能力・資金不足もあって、世界一周前にカナダでワーキングホリデー制度を利用して1年間滞在していたのですが、その時に働いていた現地レストランでの経験が大きいです。一緒に厨房に並んで料理を作っているときが、一番文化交流ができていると感じた瞬間だったんですよね。これが凄く楽しくて。その延長で、世界一周中も厨房で働きながら、現地の料理を学ぶことができたらと思ったんです。
単に旅をしているだけではそうしたチャンスは少ないですし、自分の得意な料理を通じて、現地の人や文化に触れたいという想いが強かったですね。
――具体的にはどのように働いていたのですか。
田中:ビザの問題があるので、無給で1~2週間ほどお店で働かせていただいていました。法律によってそれらが認められない国では見学だけということもありましたが、基本的には日本と同じように料理の仕込みをしたり、実際に調理をしたりしていました。
いままで知らなかったような料理のスタイルで、考え方や調理器具も違う。新しいことを知っている感覚が、たまらなく嬉しかったです。
――無給とはいえ、働かせてくれる厨房を探すのは大変だったかと思います。
田中:コネもツテもありませんでしたが、電話・メール・直接訪問などできることは何でもやってみました。1軒決まるのに、100軒以上はコンタクトを取っていたと思います。電話もメールもほとんどの場合は無視されて。自分が理想とする味を求めてレストランを食べ歩き、気に入ったお店があれば、働かせてもらえるように交渉していました。
最初の1軒が決まるまでは不安もありましたが、その後はずっとこのスタイルで旅を続け、最終的には8カ国で働くことができました。
――言葉はどうだったんですか。
田中:言葉は本当に苦労しました。基本的な勉強はしてから臨みましたが、それでも全然足りない。料理にもコミュニケーションは不可欠ですが、厨房での会話はある程度パターンが決まっているので、後はやりながら身体で覚えるしかなかったですね。
言葉のわからない自分に対しても親身になって教えてくれたのですが、それがまったく理解できないのが辛くて。とは言っても、厨房での思い出は楽しいことばかりでした。温かく迎えてくれた厨房の皆さんには、本当に感謝しています。
――その行動力には驚かされます。
田中:これは僕の性格かもしれないですね。一度やると決めたら、とことんまでやりきる。たとえ海外に出ようが、そこは曲げたくなかったんです。諦めなければ絶対にうまくいくという自信もありましたし。何か新しいことへ挑戦しようと思うのであれば、根拠の有無に関わらず「信じ抜く」ことが大切なんだと常に自分に言い聞かせています。
――海外に飛び出してみて、いま何を感じますか。
田中:慣れ親しんだ環境から少し離れてみることで、自分のこれからをじっくり考えることができました。答えはいつも自分の心の中にしかありませんが、様々な価値観に触れることで、それを掘り起こすことができたんだと思います。
日本料理の素晴らしさにも改めて気付くことができましたし、それを世界中の人たちに伝えたいという気持ちも芽生えてきました。将来は自分の店で板前を「一人の人間」として育て、海外にも出店していきたい。夢を実現するには自分はまだまだ未熟ですし、料理人としても経営者としても成長していかなければと思っています。
・日本料理 すえよし
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