ブラジルは世界最大の日系人居住区であり、1908年以降の約100年間で25万人の日本人がブラジルへと移住した。彼らとその子孫は「日系社会」を形成し、現在は約150万人の日系人が住むと言われている。サンパウロ州にはその約70%にあたる日系人が生活しており、ブラジル社会に与える影響も少なくはない。学校では詳しく教わることのない「日系社会」とは一体。教育、そして高齢者介護に焦点を当て、2人のJICA日系社会ボランティアに話を聞いた。(オルタナS特派員=清谷啓仁)

授業をする角浜ひとみさん

■日本語学校、生徒数の半分以上は非日系人

サントス日本人会・日本語学校で活動するのは、大学院卒業後にブラジルへと渡った角浜ひとみさん。自ら教鞭をとって日本語を教え、一方ではイベント等を通じて日本文化の紹介を行っている。生徒数は100人を超え、うち半数以上を非日系人が占めるという。

当日本語学校は、第二次世界大戦中に枢軸国の敵性国財産としてブラジル政府に接収された歴史を持つ。度重なる同地日本人会の返還要求によって、2006年にようやく建物の使用権が復帰した。こうした歴史的背景もあり、日系人だけでなく非日系人の日本文化理解者を増やすことは、恒久平和を願う現地日系人の歴史的祈願とも言うことができる。

「現在ブラジルでは6世までの日系人が確認されており、完全にブラジル人化していっている人たちも数多くいます。同時に日本語での会話は徐々に衰退し、現在ではほとんど話されなくなってきました。継承語日本語教育の原点は、家族の言葉である日本語やその文化様式、そしてそれらに対する思いを子弟に受け継いでいくことにあります。

ブラジルでの日本語教育は、継承日本語教育から外国語としての日本語教育への転換期にあり、子弟が日本語を学ぶ意味も変容を遂げています。しかし、自分たちのルーツがある日本に親しみを感じ、子どもに言葉や振る舞いを学んでもらいたいと思う気持ちに大きな変化はないようです。」(角浜さん)

■日本語でのケアを必要とする日系高齢者

日系高齢者を対象として開設された厚生ホームで活動するのは、日本の老人保護施設に10年以上勤めていた八島ゆみさん。生活言語が主に日本語である日系人に対して、日本語でのケアを行っている。施設職員は主にポルトガル語を話すが、中には日本語しか話すことができない入居者もいるという。そうした人が一人でもいる限り、自分の存在意義はあると八島さんは話す。

八島さんは日本語でのケアと合わせて、介護現場のニーズを探って改善指導も行っている。ブラジルの介護・高齢者分野は日本と比べると20年ほど遅れており、次第に高齢化するブラジル社会の現状に合わなくなってきているという。

「厚生ホームは日系人のために作られた施設ですが、戦前と比べると日系社会そのものが大きく変化しています。2世、3世と世代が変わるにつれ、日常的に日本語が使われる機会は減ってきました。言葉は違っても同じ人間相手なので介護の本質は変わりませんが、社会の変化に合わせて私たちボランティアの役割も、少しずつ変わっていくことでしょう。そうした状況の中、私は何のために今ここに来たのか。自分の持っている知識と経験を、少しでも日系社会の役に立てていきたいと思います。」(八島さん)

八島ゆみさんと入居者の方々

変わりゆく日系社会

1908年、笠戸丸に乗船した781人の日本人がブラジルへと移り住んだ。日伯双方の合意によって推し進められた移民政策であったが、ブラジルの労働力不足を補うために導入されたこの制度の実態は、大部分の人たちにとっては過酷極まりなく、かつての奴隷制度と大差のないものであったとさえ言われている。

それから100年余りが過ぎ、ある者は日本人としての誇りを持ち続け、ある者はブラジル社会へと同化していった。立場によっては賛否あることだろうが、日系社会が大きな変遷期にあることに異論の余地はなさそうだ。

学校では詳しく教わることのない、地球の反対側に広がる日系社会。日本とブラジルの関係を影で支えてきた彼らの功績、苦悩、そして現状を、今こそ知らなければならないときではないだろうか。

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