(1)の続き。

三井「震災が起きたことで価値感が大きく変わってきたことは良いことだと思う。けど、今では4ヶ月が過ぎてだんだんと日常に戻っていく人が増えてきた気がする。」

赤塩「それも実感しています。震災当初はメンバーのモチベーションも高かったのですが、今では参加してくれる人が減っています。」

米原「そのようにメンバーが支援活動から離れていく原因は何だと思う?」

赤塩「リアリティの無さだと思います。ぼくの団体の活動は東京で行うことがメインですので、実際の被災地でどのように役立っているのかが直接目に見えづらいです。このままではいけないと思い、ぼくが団体を代表して被災地に入ったのですが、やはり、現地を見ることによってはじめて自分たちの活動の意味を実感できました。現地を見た人と見てない人ではボランティア活動の捉え方が変わってくると思います。」

三井「そのように自分たちの活動の先をしっかりと見ることはボランティア活動だけでなく仕事にも当てはまる重要なことだと思う。今の高度な社会ではサービスの先が見えづらくなっている。無意識のうちにお金や利益率を出すことに動機付けされてしまっている。しかし、支援活動をすることによって、自分がしたことで受益者がどうなっているか見えないとモチベートされないことに気づいた。受益者と目で見える関係でのビジネスがこれから増えていけば面白いと思う。」

米原「これからの働き方も変わっていくのではないかと思う。ある原発の工事現場でのことなんだけど、ある作業員はその原発建設に反対する周辺住民たちを工事現場に入れないようにガードする仕事をしていた。しかし、その作業員はガードしているとき突然涙を流し始めた。それも大粒の涙を流しながらガードしていた。後ほど、その作業員の方にお話を伺ったら、『自分は本当はこんな仕事はしたくない。でも、生活するためには仕方がないのだ』と言っていた。その作業員にとってはお金か命どちらが大事なのかを考えなければいけない苦悩の仕事だったと思う。」

赤塩「社会で働く前の学生時代にボランティア活動をすることによって、これから先の人生で何を大切にして生きていくのかを決断する要因になれば今後の社会のあり方、働き方も変わってくると思います。ただ、言われたことをやるボランティア活動ではなく、ボランティアをしたことで何かを得るような活動をしてほしいです。」

三井「確かにそうだと思う。そんな社会を実現するためにも新しい形のボランティアが必要だと思う。既存のボランティアは思考する必要がない、誰でも出来ることを行うことが求められていた。もちろん、それも大事である。しかし、既存のボランティアとは異なる位置から支援活動を行う人がいなければその社会の実現は出来ないと思う。そして、そのような人はボランティアとは違う何か別の言葉が適用されると思う。」

米原「そんな社会が実現できるかどうかはこれからのおれらのような若い人次第だと思うけど、この震災が今の社会を変えたいと思っている人たちに火をつけたことに違いはない。だからこそ動いてほしいし、知ってほしい。特に女性には放射能の知識をつけてほしいと思う。どれだけ自分の身体や妊娠に影響を及ぼすのか分かっていてほしい。」

三井「おれはうそっぱちをつかないでこれから生きて欲しいと思ってる。震災のことを知らないから、また支援活動に関わらないからその人のことを否定することなんてしたくないし、周りに合わせて関心のあるふりをすることも無理にしなくていいと思う。関心のあるふりや無関心のふりをしないで、もっと自由に、思うがままに、自然体でいてほしいと震災から4ヶ月経過して改めて思う。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

収録を終えて・・・

 

若者の今の社会に対する反応を見てみたく今回の対談を企画したが、事前に密かに予想していた不満ぶちまけ大会とは違い、これからの社会の話しが中心に進んだ。

 

印象に残っているのは『受益者と目が見える関係でのビジネスが増えていく』という発言。

 

このことは多くのことにも当てはまる。

自分が行ったことがどのような過程を経て誰か、または何かに影響を及ぼすのか。そして、誰かが行ったことがどのような過程を経て自分に影響を及ぼしたのか。

 

この過程が目で見えてきたとき『つながり』が生まれ、新しい社会が実現されていくのではないかと今回の話しを聞いて感じた。

無縁社会と言われる今の日本で、そんなつながりで彩られた社会が実現すればと切に願う。

 

池田真隆 オルタナS編集員