そして、死後の幸福を祈るために仏教がある(さきほどの本の表現を借りると「葬式仏教」)。死後の幸福は、血の分けた者から祀られることで得られる、と考えられている。ただし、元来、仏教は死者祭祀には興味が無かったらしい。中国に入った仏教が「孝」という価値を取り入れ、生前だけでなく亡き親に孝を尽くすことの大切さを説いた。そして、善行のうち最も効果のあるのが死者のための仏に供養すること、とされた。死をケガレとする日本の伝統宗教との役割分担というのもあるようだ。

歴史的な変遷もある。明治政府ができたとき、今までの幕府に代わる求心力を必要とするために持ち出したのが、天皇を神とする「神道」だったが、幕末の不平等条約の改正の条件である「キリスト教の布教の自由」との兼ね合いが必要だった。その結果、宗教を「個人の私事」としてのみ認めることにした。つまり、心の中で唱えたり、宗教施設内でのみ礼拝を行なうことは認めるが、布教活動は秩序を乱すような社会的に目立つ行為であり、してはいけないというのである。

また「神道は宗教ではなく、祖先を崇拝する道である」という説明で、事実上の神道の国教化を行なうと同時に、キリスト教の布教を禁止し、民衆支配に利用した。つまり、この時代、宗教は政治体制の維持との折り合いの中で存在することになった。だが、天皇を神とする時代は、第二次世界大戦の敗戦と共に幕を下ろす。元々持っていた宗教観に加え、天皇崇拝の軍国国家が犯したアジアでの殺人や神風攻撃に対する反省もあり、日本人の中に宗教を信じることについて忌避感が強くなった。しかし、文化という形で日本では2つの宗教が共存している・・・。

道を歩くと声をかけられる

道を歩くと声をかけられる

語学力の都合上、もっと短い説明だが、大体このような説明をしている。一方、僕が住むマンベジ地方では、住民のほとんどがイスラム教徒だ。日本人から見たら、生活のあらゆる場所に宗教が絡んでいるというのは息苦しんじゃないかと思っていた。しかし、宗教という形をなしていないだけで、色んな宗教的な思想が僕らの生活の中にもあるのだろう。

今読んでいる『坂の上の雲』(司馬遼太郎)は、明治の時代を描いているが、日本という「国家」を意識の中心にする自分達と比べ、上の世代が(江戸時代の)「藩」を中心に生きていることに感心するような場面があった。生きている場所と時代の特徴を、自然と受け入れながら、僕らは生活している。「当たり前」や「普通」と言うものは、普遍的ではなく変化するものなのだ。

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