――カフェには、「本当に良い循環を作りたい」という思いを込めていますが、小島さんはどうしてカフェを運営しようと思ったのでしょうか。
小島:クレイジーに就職する前から、もともと老若男女が集まるカフェ&バーを開きたいという思いを持っていました。ぼくは、大宮駅の隣にある土呂駅に住んでいて、おじいちゃん・おばあちゃん子で育ちました。
だんだん高齢化が進み、地域のイベントやお祭りに参加者が少なくなり寂れていくなかで、おばあちゃんの悲しむ顔を見てしまい、何とかしたいと思い始めました。若者はいないことはない。問題は、集まれる場所がないことだと気付きました。
そうして、自分で作ってしまおうと考えたのです。集まれる場所といったら、美味しい料理と飲み物、それにイケてる音楽が流れるカフェ&バーだろうと思ったのです。
大切な日に仲間とカフェに来たら、一生忘れられないような価値を提供したいという思いが原点にあると思います。
また、養子になり、戸籍が「長谷川」から「小島」に変わったことも、人のつながりを大切にしていこうと思えた分岐点でした。
――養子にはいつなったのでしょうか。
小島:25歳のときですね。長谷川として生まれ育ってきたのですが、血縁関係にある小島家の血縁が途絶えることになるということが分かりました。そこで、両家から、「とも、養子になって、小島を継いでくれないか」と相談を受けました。
始めは継ぐ理由が、自分のなかで腑に落ちなく、すぐに返事はできませんでした。「最終的には、ともの意思に任せるよ」とは言われていて、このことをきっかけに、人の命のつながりを意識するようになりました。命のバトンが受け継がれてきて、今ぼくがいるので、「途絶えさせたくない」という思いに共感できるようになりました。
それに、小島家も長谷川家からも笑顔がなくなっていく様子を見ることが耐えられなかったですね。ぼくがしたいのは、家族と仲良く過ごすことなので、ただつながりが増えるだけととらえたら、継ぐことを抵抗なく決断できました。
■最大の目的は、「理想を求める生態系づくり」